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割に合わない女

「その口にハムスターの睾丸ぶち込んでやろか」

心の声が外に漏れた気がした。
はっと我に返り、眉間のシワを伸ばそうと大きく目を開けた。
自分の顔に作り笑顔が張り付いているのを確認してほっとする。
大丈夫、ちゃんと笑えている。

眼の前には動き続ける下品な唇。
私はそれを見つめ、ただひたすら相槌を打っていた。

昨日の夕方、私はカフェにいた。

一緒にいたのは同い年の子どもがいるママ友。
彼女には引っ越した当初から、いろんな面でお世話になってきた。
私だけでなく子どもたちも同様で、アウトドア好きな彼女のおかげで、バギー、カヌー、キャンプなどいろんな体験をさせてもらった。

しかし、だ。
一緒にスポーツをしたり、出かけたりするなら申し分ない人なのだけれど、会話メインとなると話は異なってくる。
とくに彼女に不快な出来事があった時は、だ。

昨日カフェにいたのは約2時間。
私は相槌しか打っていなかった。

彼女は1時間以上かけて、私の知らない夫婦とのいざこざを語った。
さらっと話せば10分もかからない内容なのに。

「気の弱い妻Aは夫Bに逆らえない。
ある日妻Aはママ友(私とカフェにいた彼女)と映画に行く約束をしていた。
しかし夫Bは買い物に行きたかった。Bは免許を持っていない。
Aは夫に車を出してほしいと頼まれ、断れず承諾。
その結果、映画の約束はドタキャンされた。」

話のスタートが夫婦A、Bの生い立ちから、そう言えば察していただけるだろうか。メインの内容が語られたのは、話が始まって40分以上経過していた頃だったと思う。
BとAの愚痴が始まった頃には、ハムスターの睾丸が何度も頭をよぎるようになった。(閉口させるためのツールとして)

聞いているだけの時間というのは苦痛だ。
しかも彼女は1から100まで話さないと気がすまないたち。
その上、内容が愚痴ともなると、聞く側にはかなりのフラストレーションがたまる。

もう話題を変えたい。
私は強引に話をさえぎった。

私「そっかー!!それは大変だったね。」

私なりに勇気をふり絞った行動だった。
エッセイでいうならコンクルージョン、愚痴を終わらせるために放った一言。
彼女から「そう、大変だったんだよ。聞いてくれてありがとう。完。」という流れを期待したが、的は外れた。

「別の日はさ〜」と、新たなストーリーを語らせてしまった。

その後も何度もトライしたが、その度に「それでね〜」とか「この前もさ〜」という言葉とともに別の愚痴が始まる始末。

最終的に、私の苛立ちは瞼の痙攣として現れた。
もう限界だ。

私「付き合いやめればいいんじゃない?」

嫌味を込めて言ったのが伝わったんだろう。
彼女は喜怒哀楽の怒を含んだ表情で「それは違うでしょ!」と今度は説教を始めた。

もう適当な合いの手を入れる気もおきず、ただひたすら機械的に相槌を打っていた。
瞼の痙攣をおさえようと、こめかみを人差し指で押していると、何かを察したのだろうか。彼女が言った。

「本当に腹立つと思わない?・・・そう言えば、最近はどう?変わったことでもあった?」

急に話を振られて慌てた私。それまで彼女が夫婦喧嘩の話をしていたもんだから、急いでそれに続くことにした。
私「私、夫婦喧嘩して夫のパンツ。。。」

ママ友「洗わなかったんでしょ!?私もやったことある。あれは確か・・・」

この会話泥棒め。
パンツは洗ったんだよ。股間部位に穴をあけたんだよ。

以降も止まらぬ口。脳内に浮かぶハムスターの睾丸。
瞼の痙攣は全くおさまらず、目もチカチカしてきた。若干気分も悪い。

彼女の口から垂れ流されたネガティブの言葉が身体に蓄積されたんだろうか、やがてそれは爆発した。

私「ハムスターの睾丸って、バカでかいらしいよおおおおおお!」

彼女の唇が半開きのまま静止した。
まっすぐに私を見つめ瞬きを繰り返している。頭の中で私の放った言葉を反芻させているに違いなかった。

ようやく不愉快な雑音が消え、取り巻いていた空気が新鮮に感じたのもつかの間。

ママ友「・・・へえー知らなかった。そう言えば元彼の睾丸が・・」

一瞬にしてハムスターの睾丸は元カレの睾丸ストーリーへと変えられた。
話すことへの激しい執着。
完敗だ。

カフェにいた2時間、一方的に愚痴を聞かされただけだった。
この時間があれば、他にできたことが山程あったのに。
とんでもなく割にあわない。
頭をよぎるのは「人間断捨離」という言葉。

散々お世話になっているのに、虫が良すぎるだろうか。
でも私だって彼女のために…

彼女のために…何だ?

一体彼女の為に何をした?

相槌くらいだ。

私は相槌を打つから価値のある存在。
相槌を打たない私は、彼女にとって割に合わない存在。

帰り際に彼女が言った。

ママ友「来週もまたお茶しようね」
私「はい」

断わる選択はない。
フェアな関係でいるために。

そんなことにも気が付かず、彼女と縁を切ろうと一瞬でも思った自分を恥た。
ハムスターの睾丸を口にぶち込まれるのは私の方だった。

くわばらくわばら。






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