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風船で埋め尽くす

幼い頃、僕と妹は一緒に行動することが多かった。一番下の弟は少しだけだが年齢が離れていたので、子ども同士で一緒に過ごさせることを親も期待していたのだと思う。

じっさい、自分が親になってみて、上の子たち姉妹は一緒にいてほしいと思う。

毎週月曜日には、旅の記録を書いている。

そんな幼い僕の旅といえば、両親の故郷への帰省だった。冬は父方の北陸地方へ行き、夏は母方の九州の離島へ。僕にとって、お正月は北陸の薄暗く寒い寒い景色だったし、夏は遠い島の景色だった。

おそらく、僕が小学2年生の時だった。

学校の冬休み開始と同時に、父方の祖父母の家にいくことになった。サンタが来てくれたかどうか覚えていないが、クリスマスあたりに飛行機に乗って向かった。確か、父が一緒に行ってくれたが、父だけはその日に東京へ帰ってしまった。

子どもたちを先に田舎に帰したのだ。両親が合流したのは、それから5日ほど経ってからだった。その5日間、僕たち兄妹は天国だったかというと、そうでもない。

テレビのチャンネルも、自分たちの家と違うし、当時はゲームもない(売ってはいたが持っていなかった)、祖父母の家にはおもちゃの類も、そういえば本もなかった。

何より、祖母が別段優しいわけではなかったのである。祖父は、毎日働きに出ていた。

日中も祖母と一緒に遊ぶわけではないし、外に出かけても近くに公園があるわけでもないから出かけられない。家の中で兄妹で遊ぶだけ。・・今考えても、退屈という言葉がピッタリだ。

そんな中で、祖父が色とりどりの風船をたくさん持ち帰ってくれたことがあった。もちろん、自分で膨らますタイプの。

子どもたちは風船が好きだというのは、NHKの「おかあさんといっしょ」などでもみられる光景で、例に漏れず僕たちも風船が好きだった。普段、そんなに大量の風船に接することがない僕たちは色めき立って、いくつもの風船を顔を真っ赤にしながら膨らました。きっと50個くらいはあったと思う。

もらった風船を全て膨らまして、それを部屋に散らしたのだ。さまざまな色の風船が床を埋め尽くして、僕たちは風船部屋と呼び、キャッキャと遊んでいた。

翌日になっても、誤って割れてしまっても、なかなか埋め尽くした風船は減らなかった。むしろ、数日間その光景が広がる部屋が、僕たちの作品のようにも思えたのだ。

ある時、祖母がその光景を目にして絶句していた。まさか、子どもたちが全部の風船を膨らましているとは知らなかったのだ。僕たち子どもたちの笑顔を認めつつも、風船って・・と驚いていた。

両親がやってくる日、風船部屋の風船が減っていた。自然に小さくなっていたものもあるが、明らかに割れてしまった欠片がいくつも落ちていた。

僕は孫らしく、とぼけて祖母に言った。

「風船が、減っちゃったんだよ、不思議だねー」

祖母は、やはり心がチクリとしたのかも知れないが、こちらも見ずに冷淡につげた。

「なんか、野良猫が上がっていったかもなぁ、風船割れてる音してたなぁ・・」

確かに、飼っていない野良猫に餌をあげているのは知っていたが、まさか部屋に入るとは・・しかも風船部屋は2階にあった。嘘でしょ・・と思ったけれど、その場では「猫は風船怖いんだろうね」などと答えた記憶がある。

両親に風船部屋を見せたら、とても驚いていたけれど、風船は半分程度に減っていたから、子ども心に、本当は違うんだけどね・・と思っていた。

色とりどりの風船を見かけると、あのクリスマスの時期のちょっと悲しい幼い思い出が蘇る。

猫と風船、真実はわかりませんが、風船に囲まれる猫のサムネイルを作っていただきました。infocusさん、ありがとうございます!


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