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書けない時間

書こうとおもって、こうして始めたけれど、周囲がうるさいのが気になるとか、氷の溶けたグラスにつく水滴が大きすぎて気になるとか、カフェに来て書いてもいいのかとか、いろんなことが気になりだす。

知っている。

これは、僕が、書けないときの症状だ。

書けない理由を探しているのだと思う。

僕は、自分自身では落ち着きのない人だと思っている。だから、言葉を口に出すのもやや抑えているし、集中せねばと余計なものを視界に入れないよう減らすようにしている。

毎日書くためには、書く場所を決めないほうがいいと思っている。どこでも書けるけれど、より書きやすい場所があればいい。

しかし、書く道具はなるべく同じものの方が、というか PCが確実に良さそうだ。普段、どうやって書いているのかよくわからないけれど、頭の中で言葉を読み上げて、それをパチパチと打っている感覚に近い。

指が勝手に・・とはならない。それはタイピングが下手というのもあるし、やっぱり自分がおしゃべりではないから、話すための言葉を見つけるのにも時間がかかっているのかも知れない。

こうして書いていると、何か思いついたりとか、書きたいことが湧いてくる・・なら話は早い。結局、僕はそれを見つけられずに、書けないなりに指を動かしている。

こんなもの、誰が読むのだろうと思う。

それも、いまや書けない言い訳のような存在になるくらいに、毎日の投稿を続けてきている。

かつて、ここnoteにおける成功とはなんだろう、と考えたことがあった。成功を目指す、その成功とは、人によって違ってくるだろうし、そもそも成功を目指していない人もいるかも知れない。

収入なのか、出版なのか、知名度アップなのか、誰かと対話したいのか、新しい視点を得たいのか、仲間を増やしたいのか、誰かを欺きたいのか、恨みを晴らしたいのか。

僕が、なにか攻撃的なものを受けたとか、目撃したわけではないし、そういう話題にしたいのではないけれど、さまざまな思いがあって、ここにいるんだと思う。

毎日更新を長いことつづけていると、栄枯盛衰というか、noteデビュー!なんて自己紹介を書いて華々しく始めても、投稿が続かなくて書かなくなる人が、かなりいる。続ける人なんて僅かだと言われているから、僕が感じられるのは氷山の一角だろう。

責める意図は毛頭ないが、妻もnoteでの投稿を始めたものの、数回の投稿のあとが続いていない。

あるとき、妻がいった言葉は真実だと思う。

「いくつもSNSで発信するなんて、できない」

特にnoteは大変なのだとか。

僕は自分が書いたことが読んでもらえることが嬉しくてつづけているから、何を書くかというのは実はあまり重視していない。それなのに、質が担保されているなどと誉めていただけて、嬉しい限りだ。

うまく書きたいけれど、強く見せたいけれど、どうも時間がない。


それでいいのだけれど。

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