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盆踊りの夜

3年ぶり、と枕詞がつくようになったイベント開催が多い。京都のお祭りなどは全国的にも報道されて、その人出に緊張が走ったけれど、考えてみたら3年前は「やっぱり京都の伝統の祭りは、格が違うよねぇ」などと、感心も含めて眺めていたはずだ。

この頃は、また状況が悪化して、再度の開催延期を決めるイベントも増えている。主催者の心中は複雑というか、もう何を目標にしたらいいのか・・という状態だろう。

本来、開催のための目標なんてないはずなのに。毎年やっていること、それができないことは、主催者にとっても参加者にとっても、心に穴がぽっかり空いた状態になるのだと思う。

幼い頃、さまざまな場所で盆踊りがあった。町内を越えた近所の神社でもやっていたし、大学のグラウンドが一晩だけの盆踊りスポットとなることも。

たいして踊らないし、出店も殆ど買ってもらうことなどない。でもつまらないわけでもない、不思議な場所だった。

僕がいつも考えていたのは、こんなに大きな音を出すことが、いいのだろうかということだった。

太鼓の音や歌のテープは、なかなかの音量で鳴っているけれど、不思議と心地よさのようなものはあって、子どもながらに嫌な音ではなかった。

でも、近所の家はどうだろうか。

うるさそうに窓から覗いている者などいないし、なんなら暗い。一体どこに行ってしまったのだろう。眠くなったら、どうやって眠るのだろう。

そんな余計な心配をしていた子どもだったが、大人になってみて、この街に住んでみて、不意に、この夏にその答えを掴むチャンスが到来したのである。

僕たちの家のそばには公園がある。

引っ越す時には公園があるかどうか、家を買う時には公園があるかどうか、ぜひ気にかけてほしい。

個人的には、新しい街で暮らすなら、近くに、公園、図書館、八百屋があるのが望ましい。なくてもどうにかするのだけれど、あれば生きやすくなるはずなのだ。

話が脱線してしまった。その公園で、納涼祭が行われることになった。納涼祭には、盆踊りのほかにも、キッチンカーや、出店が登場する。

盆踊りの音でお騒がせします、と書いてある詫び状が自宅の郵便受けに投函されていて、ハッとしたのだ。

今夜、自宅にいれば、幼い頃、かすかに聞こえたあの音が、なかなか近くから聞こえてくる。

でも、今は出かけている。つまり、家族でその納涼祭に参加している。(諸事情により、僕は下の子と車の中でじっとしているが)家の灯りは消え、窓も暗い。

きっとあの夜も、僕が勝手に心配していた暗い窓のご近所さんは、盆踊りの会場にいたのだろう。

四国の伝統的なテンション高めの阿波踊りのように「踊らにゃ損損」みたいな踊りは盆踊りにはないけれど、人が集まる感じは高揚感がある。

自宅でテレビを見ていたとしても、うるさくて観られないだろうし、盆踊りが嫌いなら、とっくに引っ越していただろうから、まぁ1日くらいいいか、なんて思っていたのだと思う。


納涼祭は、思いがけず多くの人で賑わっていた。賑わい、はとても楽しい。何がどうというわけでもないけれど、煌々と灯る会場はワクワクする。

場所には記憶が残り、来年もそこで、となればまた記憶が積み重なる。その場所に訪れたことがある人が増えれば増えるほど、その場には磁力なようなものが生まれると思う。それは口コミのような名前で、場と人を引っ張ったり遠ざけたりする。

上の子は、浴衣を着て、嬉々として会場へ行った。無事、友達とも会えて、束の間のパーリーナイトを楽しんでいるようだ。

願わくば、下の子も目を覚まして、お腹に響く太鼓の音を感じてほしい。

そんな淡い期待も抱きつつ、ぼんやりと聴いている曲の中に、あれ?と思う曲があった。

盆踊りの歌に、荻野目洋子のダンシングヒーロー(?)があるのは、全国的に普通なのでしょうか。


盆踊り、開催できてよかった。


#盆踊り #街 #ご近所 #夏 #ダンシングヒーロー

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