ほめられない人、ここにいる
「タイミングが大事!」
「言葉できちんと伝えてあげよう」
「心からのあなたの言葉で」
ほめる、ことがあまり得意ではない。
ほめられて育ってきたはずだけれど、果たしてその手法を自らが実践できるほど、”ほめ言葉のシャワー”を浴びていないまま大人になってしまった。いや、大人どころか、人の親になってしまった。これは困った。
子どもに対して、大袈裟にリアクションするとか、とにかく驚くとか、そういった行動の要素はさまざまな場面で有効だと実感する。それでもまだ、僕は周囲から見たらリアクションが薄いと言われるし、子どもに対して結構ドライだと言われてしまうことがある。
中でも、ほめることはちょっと苦手なのだ。ものの本には、結果ではなく経過を褒めろとあったから、がんばったね、良くなったね、は言えるようになったけれど、そうじゃないんだと思う。
いや、子どもが嫌いなわけじゃないんだけれど、ほめ方が分からないから、つい言葉が少なくなってしまう。
そこへきて、子の習い事の先生たちは、褒め上手だ。
上の子が絵画教室で絵を描けば「あら、上手ね」「よく見てる」「綺麗ね」「まぁ素適ね」「丁寧に描いてる」等、こんなふうに言葉が飛び出してきたら、もっともっと絵を見て欲しいと思うだろうなと考えながら、子に「よかったね」と伝える。ダメだこりゃ。
先生たちを観察していると、気がついたことがある。ほめる人は、否定しないのだ。
「いまの音、違うよ」
「その指で弾いたらだめだよ」
これは僕がよく言ってしまう言葉だ。練習しているのに、ピアノの前に座っていることだけでもすごいのに、楽しさより先に、正しさを求めている。これではいけないのだ。
気になることがあっても、それをストレートに言葉にしない。相手を思い、とにかく明るく言葉をかけてあげることが大事なのだ。
「真のオタクは、初心者に優しい」とよく聞く。オタクが好きなものは様々だけれど、その世界に足を踏み入れた新参者を歓迎することで、その世界が続くためのファンになってくれることが分かっているからだ。
習い事の先生も同じだ。好きなものを誰かに伝えたい、楽しんで欲しい。そんな気持ちがあるからこそ、ほめるのが上手いのかも知れない。
ほめるのが苦手すぎて、どんな言葉を選べばいいのか、そもそも選択肢すらない語彙から、するりと口にしがちだった言葉がある。
「パパ、いつもそれ言ってるけど」
子にたしなめられて、初めて気がついた。
その言葉とは「おめでとう!」だ。
宿題終わった・・おめでとう
九九のレベル上がった・・おめでとう
一人でできたよ・・おめでとう
今日学校楽しかった・・おめでとう
音読終わったよ・・おめでとう
いや、全然おめでたくないよ。こう何度も、いつでも言われたら、おめでとうの意味すら分からなくなってしまう。何でもかんでも、おめでとう、でほめようとしていたけれど、やっぱり違う。
最近読んでいる本は、ほめることを深掘りしてくれる。ほめる言葉よりもまず、ほめられて嬉しい人間になることが大事と説く、だから僕にも試しやすい。具体的な理想像を考えさせて、その理想を実践すればいいんだよ、とシンプルに伝えてくれる。科学的根拠を挙げながら、実際にどうやるかを例示する。親切であり、真剣な本だと思う。
いまは、あれこれ考えながらほめているけれど、きっとするりとほめ言葉が出てくるようになるはずだ。
子どもも僕自身も、ほめられたいのだ。
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