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月曜日の図書館37 敵でも味方でもないみんなと生きていく

『フルーツバスケット』のことを思い出すと、今でもじんわりあたたかい気持ちになる。周りのぜんぶが敵に見えていたあのころ、あの漫画だけがかろうじて自分を包んでくれるやさしい毛布だった。
書庫の中で背表紙と目が合うたび、わたしと同い年くらいの方が借りに来られるたび、あのころを思い出して、お互いよく生き延びましたね、と手を取り合いたくなる。実際にやると怖いので、思いをこめて見つめすぎて、やっぱり怖がられる。

足踏みミシンの使い方がわかる本がほしい。メールでそんな依頼がきて、電動ミシンしか使ったことのないわたしに、事務室にいたお姉さまたちがいっせいにマイ足踏みミシン談を披露しはじめ、かしましいことこの上ない。T野さんは電気を使わないからエコなのだ、と力説してくる。回想法、とN本さんがつぶやいた。
昔のミシンの本にも使い方が載ってはいたが、機械の性能など工業的な説明が多く、家庭科の教科書の方がわかりやすい。レトロな女の子がにこにこしながら足踏みしている。
依頼者はどんな目的でこんなメールをくれたのだろう。若い人が、アンティークショップで足踏みミシンを手に入れて、使ってみようと思ったのだろうか。それとも介護施設のレクリエーションの一環で、おばあさんたちに昔のことを思い出させるのだろうか。

水墨画の描き方を知りたい、と電話してきたおばあさんに、本が用意できた連絡をするも、全然つながらない。あとから確かめもせずに直接やってきて、草むしりをしてたから気づかなかった、と言う。描き方そのものがわかったのではやさしすぎるから、花とか動物とかの写真の本を用意してほしかったのに、と言う。どこまでも自由。

疲れたので、禁を破ってアイスを食べる。やさしすぎてもいいんじゃないかなあと思う。

修行は山の中じゃなく、人の中で行うものだよ、というようなことを紫呉さんは言っていた。夾くんが、自分は人の世で生きていくのに向いてない、と言ったときに、向いてないのではなく、慣れてないだけだ、傷つける/られる中で身につく技がある、だからまだ、ここにいなさい、と言った。作中、一番信用ならなくて、ひょうひょうとしていた紫呉さんのこの言葉が、一番印象に残っている。

精神統一したいときは本にカバーをかける。毎週何百冊と新刊が入ってくるたび、カバーをかけてくれるのは主にアルバイトさんかOBのボラさんだが、初心に戻りたい場合は職員も作業してよい。用無しとなった水墨画の本を棚に戻した後、一心に本と向き合ってかける。まだまだ修行が足りない。

お姉さまのひとりが、大きいサイズで印刷する方法がわからず悩んでいる。うめき声を聞きつけて2人、3人とわらわら寄ってきて、大勢で取り囲んでどうするんだろうね、わからないね、と言い合っている。その様子がおかしくてげらげら笑ったら怒られた。わからない人が何人集まっても同じではという正論を述べたらますます怒られた。おわびに説明する。詳細画面で、ロール紙幅を短辺に合わせる、を選ぶといいのです。

耳がはちゃめちゃに遠いおじいさんが電話してくる。K川さんがついぞ聞いたことのない声量で応対しているが、断片的にしか通じていないようだ。聞こえにくいことがわかった上で、それでも他者に問いかける勇気を、老後のわたしは持てるだろうか。まるでこんな、海に向かって瓶を投げるみたいな、流れてくるかもしれない瓶をひたすら待つみたいな、そんな途方もないやりとり。

倉庫の掃除をしていて、古い8ミリフィルムが発見される。映像技術に詳しいDに鑑定を依頼したところ、この国でオリンピックが開かれるより前に製造されていたものだということがわかった。
映写機(Dの私物)にフィルムをセットしてみると、自動車図書館の仕事の様子が映し出された。公園らしきところに自動車が到着すると、ものすごい密になって子どもたちが押し寄せてくる。白黒のきらきらした笑顔。この写真のポストカードあったらほしい、作りたい、とT野さんが言う。
職員らしきおじさんがなぜか手品を披露している。また子どもたちは密になって、おじさんの手から鳩が飛び立つ様子を、一生懸命見つめている。
最後は職場の映像に切り替わり、さっきのおじさんがさわやかな笑顔でインタビューに応じていた(T野さん:このポストカードはいらないな)。

もう定時を過ぎていたのに、わたしがどうしても見たいと言ったので、みんな残って辛抱強く付き合ってくれた(係長は帰った)。フィルムの巻き取りを手伝ってくれながら、K川さんが、こんな貴重なものよく見つけたね、見れてよかった、と言った。後片付けが終わるまで、やっぱりみんな残って待っていてくれた。

波間の向こうで、何か光った気がする。

毎日の生活の中で、ときには無性に山に帰りたくなるが、周りのぜんぶが敵ではないこと(ぜんぶが味方でもない)を知ったわたしは、まだもう少し、人の世で修行を続けようと思うのだ。


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