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月曜日の図書館42 まちづくり

広くてたくさん車線のある道路の、まんなかだけが薄いクリーム色に塗られている。バス専用のレーンであることを示しているのだ。レーンの側には一定間隔で停車場も設置してある。乗客は横断歩道をまんなかまで渡り、この停車場でバスを待つ。さながら路面電車のようだ。後ろも前も車がひゅんひゅん通り過ぎてゆく。
渋滞を避けて効率よく乗客を運ぶことが狙いで設置されたこの基幹バス構想は、しかし開発者が思い描いていたより世間のウケが悪かったらしく、全国に広がることはなかった。結局は市内でも2区間のみ、しかもそのうちの1区間はレーンが車との併用である。
図書館に保存されている、計画時の資料には「まさに夢のような」すばらしい構想であることが謳われているが、携わった者みんながそう考えていたとは思えない。きっと力を持った少数の人間が思いついたアイデアに誰も反対することができず、そのままずるずると実行されてしまったのだろう。このまちには(ここだけでなく、どこのまちでも起こる、普遍的なことかもしれないが)、そうやって作られた負の遺産が数多く存在している。広すぎる道路にしたって、脚の弱い人や体調が悪いときには、とても一回の青信号で渡りきることのできない、まるで巨人のために作られたかのような、異様な構造物だ。

こっち側からあっち側へ渡ることはとても難しい、ともすれば、わたしたちはあっち側の世界を知らないまま、生きていくことになりかねない。

自習席はあちらにあります。K川さんが勢いよく振り伸ばした腕が、わたしの顔面を直撃した。目をかばって犠牲になってくれためがねを外して見てみると、つるは曲がり、フレームにはヒビが入っている。怪力でも何でもないK川さんの力でこの程度なのだから、物理の法則というのはすごい、本気で殴られたりしたらそりゃあ簡単にこわれるわけだわ、とわたしは冷静に納得した。慌てふためくK川さんの様子に動じることなく、利用者は振り伸ばされた腕の方向へ淡々と歩いて行った。
帰りにめがね屋さんに寄って相談すると、この場ですぐには直せない、本社に送ってフレームを交換してもらうから3週間くらいかかる、もともと作ってから何年もたっているので寿命がきていたのだ、と言われる。おばあちゃんになってもかけ続けると思っていた、とわたしが言うと、お店のお姉さんはすてきな考えだけどそれは難しい、とびっくりしていた。急遽新しいめがねを買う。お気に入りのめがねじゃなくなっても、見える景色はさほど変わらなかった。

基幹バスの他にも、このまちには一定区間だけ自動運転モードで走るバスというのが存在する。その区間に達すると、運転手は静かにハンドルから手を離し、そのまま両手をひざに据える。何のためにこの方法が採用されたかは不明である。愛称から察するに、渋滞回避ではなさそうだ。何となくやってみたかった、という理由だったらいいなと思うので、真相はあえて突き止めていない。

昔のまちのことを調べに来ていたおじいさんが、地図を持ち帰ってしまう。電話で連絡すると、最初は返したか持ち帰ったか判然としない様子だったが、しばらくして発見した旨を折り返し連絡してきて、ことなきを得る。自分のものと、それ以外の区別がつかなくなっているのである。歳を取るとは、悪気のないジャイアンになるということなのだろうか。
いっしょに渡した出納票はとうとう出てこなかった。
感染が広がっていたころは、地図や参考図書の置いてあるコーナーは封鎖され、貸し出しだけで対応していた。自習席にも座らないようにイスは撤去され、封鎖されたコーナーに押し込まれた。
たとえ長く滞在できなくても、貸し出しできない資料も読めるようにすべきではないか、と主張したのはわたしひとりだけで、もう決まったことなのだからいちいち波風を立てるな、と嫌な顔をされた。
参考図書の棚の前にうず高くイスやら何やらが積み上げられ、廃墟さながらになった場所を、わたしは悲しくカメラに収めた。大きな力を押しとどめることは、本当に難しい。

けれど、こりずに後ろ髪を引っぱり続けなくては。

おじいさんだからってうっかりでは済まされないとわたしが憤っていると、T野さんがわたしも将来そうなったらどうしよう、と心配する。老人ホームに入って虐待されたらどうしよう、とも言う。かわいげのない年寄りめ。

おばあちゃんになっても、めがねはこのブランドがいい、服はこれ、スプーンもおしめもこの会社の製品以外使いたくない、などと言っていたら、ブチ切れられるだろうか。

基幹バスは10分おきにやってくる。そして本当に渋滞につかまらず、すいすいと進む。停車場の位置が左向きだったり、右向きだったりするので、その度に車線を変更し、縦横無尽に走っていく。車では考えられないアクロバティックな車線変更に、ちょっとした背徳感を味わうことができて楽しい。あるときは左、あるときは右。あっち側にもこっち側にも微妙にたどりつかないまんなかの周縁を、今日も基幹バスは走り続ける。

戦争で焼かれたり、好景気で謎の建築物を作ったり、偉い人の一声で間違った方向へ舵を切ったり、そんなことがごっちゃになりながら、このまちは作られてきた。今を生きるわたしたちにできることは、すでに作られてしまった変テコなものをなるべく楽しむこと、そしてこれから作られようとしている変テコなものに対して、それはどうなの?おかしいんじゃないの?と小さくブレーキをかけ続けることなのかもしれない。

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