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月曜日の図書館20 さよなら延髄

ふと脳みそを描こうとして、くわしい構造をすっかり忘れていることに気づき、愕然とする。受験勉強をしていたときには、何も見なくてもさらさら描けていたのに。
さよなら延髄。
さよなら視床下部。
あたらしい朝がはじまる。

朝が古かったらめちゃくちゃ嫌ですね、と前に詩の教室の先生が言っていた。現金はめちゃくちゃ汚いから、みんなペイペイにすべきだ、とも言っていた。

T野さんが締切の一ヶ月も前に原稿を提出してくれる。一ヶ月後に、ホームページ担当に掲載依頼をするのを忘れないようにせねばならない。原稿とともに「今月末連絡すること」と油性マジックで大きく書いたふせんをつけて、見える場所に置いておく。
問題は、他にも忘れてはならないことがある、というか、仕事に忘れていいことなどないため、机の上がふせんだらけになってしまうことである。「係長に報告する」「出勤したら絶対返信!!」「著作権?要確認」など色とりどりのふせんやメモ、さらにはそれを貼り付けるマステがちりばめられて、結局何が最優先なのか分からない。困ったものである。
T野さんが書いてくれたのは、この地方特有の盆栽様式についてだ。知らなかった古い文献を読んでうっとりする。多色刷りで、きれいな花の絵がたくさん描かれている。係長が、館長におねがいして実際に栽培してもらったらいいかも、と言う。
玄関周りの花壇をよみがえらせてくれた館長なら、確かにできるかもしれない。サボテンさえ枯らせてしまうわたしには、とても無理だ。サボテンは、漢字で書くと仙人掌。悟っているように見えて、仙人の掌は、トゲにまみれている。

図書館にある資料を使って、こんなに美しい花を咲かせることができます。わたしたちは日々、みなさんの暮らしに役立つ面白い資料の紹介を行っています。

S村さんが市の広報誌に載せるために書いた本の紹介文が(本の内容に「思想的偏り」があると見なされて)ボツになった。今はもう滅びて亡くなった都市の建築を紹介する本だった。
代わりにS村さんは、当たり障りのないマンモスの本で書き直すことにしたそうだ。全国の科学館でくり返しマンモスとか恐竜の展示をするのは、誰が見てもそこそこすごいと思い、わずらわしい対立をほとんど生むことなく一定の収益を上げることができるからかもしれない。

マンモスを前にして、それでもわたしたちは思考を停止させてはならない。

飛沫感染を防ぐグッズの営業の人が来る。透明のビニルシートを自分の頭のサイズで組み立ててかぶると、顔とその周辺をガードできるようになっている。頭の後ろとおでこで固定できますので、しっかり防げます。汚れを拭けばくり返し使えて経済的です。5段階で調節できますのでどんな頭のサイズの方も使えます。組み立て前は平面ですので、保管にも場所を取りません。
こんなにも短期間に、そのときどきの需要を敏感にキャッチして、今まで全然興味のなかった商品について、さも熟知しているかのようにプレゼンできるなんて、人間はなんてたくましいんだろう。
お金をかけたくない係長は、事務室にあるクリアファイルを切ってかぶってみて、めがねが肉にくいこむ、と言っていた。
小学生のとき、布マスクの貸し借りをしていて、しかも使った後に洗いもせずにしていて、そんなマスクをつけた給食当番がよそいだ味噌汁やらカレーやらを食べて、確かに今の雑然としたわたしが生きているのだ。
書類の山の一番奥から、S村さんがお菓子当番だったとき(一年前)に買ってくれた高級ティーバッグを発掘して、おやつの時間に飲む。

どんな重箱の隅にも、商機は眠っている。でも、つつく場所を一度間違えたからって、振り落とさない/されない社会がいい。

半数出勤をしているもう片方のグループの誰かが、事務室の壁に「離れていても心はひとつ」と重たく書かれたポスターを貼っている。
おはなし会用のくまちゃんが手作りマスクをつけてもらっている。小さな目が、きらきら光っている。

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