見出し画像

月曜日の図書館15 落書き、やがて景色になる

消しごむを図書館に寄付しはじめると、あなたも晴れて常連という地位にのぼりつめたことになる。本の落書きを消すのに、消しごむはいくらあっても困らないのだ。いつも「トイレが汚い」「新聞が折れている」と怒ってくるおじさんとはみんなが冷戦状態にあるが、消しごむを持ってきてくれるときだけは、過去も消して、関係を友好的にやり直せそうな気がする(気がするだけ)。
今日返ってきた時代小説には、最終ページに「テレビドラマ化したときの妄想キャスト」が書きこんであった。

風が吹けば飛んでいってしまいそうなおばあちゃんが窓口にやってきて、住宅地図が見たい、と言う。毎回見たい地区が違ったり、どこのコピーを取りたいか忘れたりするのだが、この年代のなら著作権フリーのはず、と妙にはっきり覚えていることもあって気が抜けない。
塩が体をめちゃくちゃにする、とおばあちゃんはよく嘆いた。塩が人体に及ぼす悪影響がわかる本を読みたがって、分厚い医学書をふらふらしながら抱えて帰っていく。本当はもっと、塩と仲良くなるところから始めたらいいのではないか、ていねいな暮らし的な本を読んだ方がいいのではないか、と思うが、そこまでふみこめるほどの信頼関係はまだできていない。
コピーのお手伝いをわたしがやりすぎて他の職員から咎められると、くりくりした小さい目でいたずらっ子のように笑う。寒くなると「冬眠」してしばらく会えなくなる。春が、待ち遠しくなる。

歯になんかついてますよ。N本さんがそう指摘されて席を外した。言ったのは常連のマダムで、N本さんとしか会話をしない。他の職員のことは目に見えていないようなのだ。
好きな人に対してもネガティブなことを言えるって最高にかっこいいなと思う。そうだった、わたしもパンツ見えてますよと言える人になるのだった(10話参照)。
基本的に淡白な受け答えしかしないので、図書館の職員に特定のファンがつくことはめったにない。と見せかけて、淡白な中にもにじみ出る人柄、誠実さ、計り知れない魅力を勝手に受け取ってとりこになる人もいる。
わたしには今のところ、わたしの着ている服の柄を毎日チェックしていくおじさんがひとりいるだけだ。今日は桜もち柄!

えんぴつで線引きされている本を消しごむで消してみると、たいてい最初の数ページで途切れる。力んで読むから挫折するのだ。忘れたってかまわないと思いながら読めば、楽しいし、わたしの仕事も減るし、いいことばかりである。

特定のおじさんから返ってくる本に大量の毛がはさまれており、事情をたずねても「最初から入っていた」としらばっくれるのでもやもやするのをくり返しながら過ごしていたある日、近所の郵便局でそのおじさんが働いているのを見つけた。

狂気は日常のすぐ近くにある。

S村さんが、わたしたちに代わってPepperくんに接客をおねがいしたらどのくらいコストがかかるか調べたところ、あんしん保険をつけて月7万円だったそうだ。月7万で傷つくことなく「トイレが汚い」や「毛をはさむのが趣味のおじさん」に対応できる存在が、ほしいときもある。

本に入っている愛読者カードに書き込みを見つける。ていねいに感想をつづったあと、最後の「どこでお買い求めになりましたか」には「買ってません」と正直に書いてあった。

N本さんが高校生だったときの担任の先生が定期的に図書館に来ていて、お互い何となく相手の存在に気がついているが、あえて正面から再会を喜ばない「大人の関係」を続けているそうだ。

教科書のザビエルに落書きするのと同じように、図書館の本にも筆を入れたくなるのかもしれない。図書館の本はみんなの本だが、みんなの「大切な」本では、決してないのだろう。教科書と同じくらいの距離にいて、必要な時期を過ぎたらいくらでも手放せる、通過点みたいな存在。
いわんや、そこで働く人間をや。

今の係に異動になることが決まったとき、常連のおじさんがお祝いに(?)推理小説を寄贈してくれた。いっしょにつけてくれたメモには「森沢が犯人です」と書いてあった。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?