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傘に関する日本とイタリアの違い

ここ数日、雨模様の日が多いとのことで、とりあえず曇天で雨は降っていないとしても、一歩家を出るならば、油断がならない。そういった状況で傘を持って出ない時に限って雨に降られて、ああ、やっぱり傘を持って出るべきだった!と後悔するのが、マフィーの法則。
ということで、荷物になるのと、雨に降られて濡れるのを天秤にかけると、自ずと前者の方がマシなのだ。

そこで、傘に関わる色々で、日本とイタリアを比較してみよう。

日本は、比較的、親切で正直な人が多く、治安の良い国と思われていることがしばしばだが、それが、傘にまつわる気配りにも表れていると思う。
わたしが東京で在住していたところの最寄りの駅の改札前には、いつしか「親切の傘」の傘立てが設置されていた。それは、駅で設置したのかと思われるが、雨が降ってきた時に傘を持参していない人のために無料で貸し出すもので、次に駅に来る際に戻してくださいね、というシステムだった。何割ぐらいの人が借りた傘を戻すのか興味深いところだが、基本的に人の善意に任せた「親切の傘」は、名前や住所や電話番号などを残すことなく無料で借りられるのだから、100%ではなくても、ある程度戻ることを予測してのことだろう。人を信じられ、そのシステムが可能だということが、すばらしいと思う。
イタリアでそれをしたら、想像としては、100%戻らないとまでは思わないが、そのシステム自体どうなのか?という疑問が多くの人には浮かぶ気がする。システムとしてでなければ、どこかのお店の人や図書館などの公共施設の人などが、「その傘、使っていいよ。また来る時に返してくれればいいから」と言ってくれることはあると思う。それは、その人個人の親切で、1対1の不文律の約束のようなものだから。

東京・上野の美術館の門と建物の入り口には、その間に使える無料日傘が設置されていたのには驚いた!美白の国の気遣いは、こんなところにまで出ているのか、と。これも、基本的には、そのまま持ち帰る人などいないだろうという人の善意に基づいた親切だろう。
イタリア(ヨーロッパ)では、白い肌が高貴な人の表しであったその昔にはパラソルをさす人もいただろうけれど、現在ではそういう人はほぼ見られないので、日傘自体が販売されていない。
が、時々、観光バスなどの前で、外国人観光客相手に普通の雨傘を日傘代わりに売ろうとする傘売りの外国人は見かける。最初その様子を目にした際には、こんなに晴れているのに傘売り?と思ったものだが、雨傘を日傘に転用というアイデアのようだ。

傘売りの話題ついでに、日本では、突然の雨の際に、どうしても濡れたくなかったら、コンビニに飛び込んでビニール傘を購入するという手段が考えられるが、イタリアにはまずコンビニがないので、そう簡単に傘を調達できるとは限らない。そこで、雨が降ると登場するのが、傘売りの人。駅や道で、「傘、ある?ないならあるよ!」と声をかけて来るので、どうしてもの時には購入する人も多いのかもしれない。時には、傘を持っていても声をかけて来るので、あっぱれな商魂である。

美術展や図書館など、公共の場では、傘は預けなければならないケースが多いのは日伊共通事項ではあるが、日本では、1本ずつ鍵がかけられる傘立てに立てるか、クローゼットなどで預かってもらうという場合が多いかとも思われる。
イタリアでも、大きい施設では、そういう設備があるところも存在するかもしれないが(ミラノの美術館でクローゼット預かりのところがあった)、ジェノヴァ近辺では、入り口の普通の傘立てに置いていくようにと指示されるケースが多い。そうなると、展覧会を見学した後や図書館を出る時にも、自分の傘がそこにあるかどうかが非常に心配になるのだ。置いていきなさいと言われたから置いていったものの、万が一なくなっていたとしても、そこの係りの人たちが補償してくれるとは到底見込めない。実際に図書館で、入り口の傘立てに置いて、先に出て行こうとした男性がわたしの傘を持って行こうとしたところを現行犯で見つけたことがある。
「それ、わたしの傘ですけど、何で持って行くんですか!?」と聞いたら、「自分の傘も誰かに持っていかれたから、残っているのを使おうかと」と悪びれずに言うではないか!カウンター前だからといって、司書さんたちがそこまで管理してくれるわけではない。見つけていなければ、わたしの傘は……(しかも、それは日本製!)

日本でも、電車で傘を置き忘れた人がいて、あっ!と思っているやいなや、他の人が持って行ってしまった!という現場も見たことがあるので、どこにでもそういう人はいるものだ。

日本でわたしはある時、1週間に何本も傘を置き忘れることがあり、気が付いた時に問い合わせたら、わたしの傘は熱海まで行ってしまったことがあった。取りに行く往復の時間と費用を考えると、泣く泣く諦めたものだ。今でもどんな傘だったか覚えているが。その時に、口述でそれらしい物と分かっても、決定的にその本人の物だと分かるように、名前や電話番号などが記されている場合に限り、電車で東京の忘れ物預り所に戻してもらえるから、次回からはそうしてくださいね、と助言を受けた。
イタリアでも傘を置き忘れた時に、そのことを実践しようかと思ったのだが、そういう個人情報を記すのは危険だから絶対にするな!と言われたので、記してはいない。置き忘れないように、盗まれないように注意するしかないのだ。
日本でも、最近は個人情報の取り扱いには敏感だと思うが、まだ、そのように個人の連絡先を記しても大丈夫だろうか?

日本で、ある人のアパートに行ったら、お気に入りだという1万8千円ぐらいのヴィヴィアン・ウェストウッドの傘を玄関外の通路の傘立てに置いているのを見て、「それは家の中に入れた方がよいのでは?」というわたしの助言に、「盗る人なんていないから、外に置いても大丈夫!」と、そのままだった。
なくさないように注意するためにも高価な傘を買うという日本の方については時々耳にするが、とてもではないが、イタリアでそれをする気にはなれない。もっとも、うちの近辺では、秋冬には山からの突風がひどい時も多いので、置き忘れや盗まれる前に、強風で傘の骨が折れて使い物にならなくなる場合の方が多いのだから。

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