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好きな街で暮らすということ

2022年4月。JR線の通る「ある街」に引っ越してきた。

ここは、にぎわいのある地元のスーパーや、いまどきなコーヒー屋さん、独特のセンスを感じる本屋さんが立ち並ぶ。「文化的」という言葉がぴったりな、東京らしい街だ。わたしはこの街の暮らしがとても気に入っている。

そんなわたしは、この街に出会うちょうど一年前。「楽しい」とはほど遠い感情で暮らしていた。



社会人も3年目になり仕事も慣れてきたころだった。

一年前からはじまった疫病がおさまらず、仕事と生活のいったりきたりを過ごしていた。「東京に実家がある」というバックグラウンドも相まって、日常の変化のなさに拍車をかけていた。

24年間をすごした実家はまちがいなく住みよい。冷蔵庫は満たされているし貯金もできる。だけど、もっと強く、自分の力で生きてる感覚をつかみたい気がしていた。

わたしは思いきって内見に出かけた。都心から45分の郊外の駅。一件目にみた窓からの景色がうつくしい、小さなアパートに住むことに決めた。

新居のベランダからの景色。新緑

そこは絵にかいたような住宅街だった。

スーパーと学習塾が等間隔に並んでいて、むだな施設はひとつもない。日中はのんびりと時間がすぎていき、夕方は帰宅する小学生たちのにぎやかな声がした。

はじめての「ひとり暮らし」も、すべてが新鮮でおもしろかった。冷蔵庫の野菜や肉を使い切るように料理したり、地域のルールで分別してゴミを出したり、晴れた日をねらって洗濯をした。

でも数ヶ月すると、ふつふつとあの感情がわきあがってきた。



「退屈かもしれない」



そうだった。場所はちがえど、あいかわらず毎日が仕事と生活の往復だった。安全で気に入っていたはずの街が、スーパーと学習塾"しか"ない。平和で無機質でつまらない。すっかりこの街を愛せなくなっていた。

疫病の事態も悪化していて、ひとりでいると鬱蒼とした気分になってしまった。ふいに実家に帰りたくなったりして、どこにいても中途半端な存在で居心地がわるかった。

「わたしは、なにをしてんだろう。」

冬のベランダ

翌年の冬。ひとり暮らしにすっかり自信をなくしていたころだった。アパートの契約更新日を目前に「いっそのこと実家に戻ってしまおうか」などと考えていた。だけど、やっぱり逃げることが悔しかった。

思えば、退屈な日常から逃げるために「住めればどこでもいい」という気持ちでこの街での暮らしをはじめた。唯一あった希望条件は「安心安全」であることだった。

そうではなく「こんな場所で、こんなふうに暮らしたい」という気持ちで考えてはどうだろう。今の街とわたしの間に足りないものはなんだろう。

「こんど住む場所は、商店街のある街がいい。」

「偶然に、おもしろいものに出会える場所がいい。」



新居にきてからもう2ヶ月が経つ。シンプルに暮らしが楽しいし、ここに住んでいる「自分が好き」という新しい感情を覚えたのにも驚いた。

きっと、はじめて住んだ「あの場所」も数年後のわたしにとっては「好きな街」になる要素がつまっている。実家のある駅も、生涯のほとんどを過ごした、かけがいのない場所だ。

街は驚くほど暮らしを変える。人を変える。だからこそ、今の自分が好きな街の解像度をあげること、何を愛するのかを把握しておくことは、自分自身を大切にする上でもとても大事なんじゃないかと思う。


好きな街に住む。
好きな自分に出会う。


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