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オブジェクトたちは語らう

(注:今回は長い上に、少しふんわりとした内容です。だらだらor太字だけご笑覧いただいければ幸いです。もし何かあれば、コメントやスキなどお願いします笑)

雨が降る4月の上旬。寒いので、コップにコーヒーを注いで、飲む。

コップには、取っ手がついている。僕は、コップを手に取って、コーヒーを飲む。

この一連の動きを振り返ると、ふと、思うことがある。「僕がコップを取ったのではなく、コップが僕に手を取らせるように仕向けたのではないか?」

昨今、「デザイン」という言葉が一般化している。「デザイン」という世界にはさほど明るくはないが、「デザイン」の世界で重要視されている概念に「アフォーダンス」というものがあるという。

アフォーダンス」とは、「オブジェクト(モノ)が与える行為の可能性についての情報」と言われる。

抽象的な定義だが、要するに「ある物自体が『〇〇することができる』という情報を与える」ということだ。

先ほどのコップの例で言えば、コップの取っ手は、僕らに「コップを持つ」という行為の可能性の情報を与える(アフォード)しているということだ。コップの取っ手が、情報をアフォードしているからこそ、僕らはコップの取っ手を握ろうと思うのだ。

「アフォーダンス」という概念において重要なことは、行為の可能性の情報自体はあくまで物の側にあるということだ。

一見すると、「コップを持つ」という行為の情報は、僕らの主観や解釈によるもののように見える。しかし、「アフォーダンス」の考えでは、「コップを持つ」という行為の可能性の情報はモノ自体が与えてくれるのだ

僕らはあくまで、コップ側(モノ)が与えてくれる情報のリストの中から情報をピックアップしているに過ぎない。(ex.コップを握る、コップを倒す、コップを投げる、コップを回すetc...のリスト)

人によるコップの使い方の違いは、あくまで、コップからアフォードされるどの情報をピックアップするかの違いでしかない。だからこそ、コップの使い方の情報は無限な解釈ではなく有限な情報のピックアップに過ぎない。
(ついでに述べると「デザインにおけるアフォーダンス」とは特定の行為(そのデザインを行うことで行って欲しい行為)へと誘導する情報を強調するためにデザインを行うことだと言えるだろう。)

さらに、僕らはそのモノの本質(そのモノがそのモノであるための何か)なるものに直接アクセスすることができない。僕らはものに見たり触れたりするときに、必ず何かしらのフィルターを通さなければならない(目や鼻や手など…のフィルター)。僕らがあくまで、知ることができるのは、フィルターを通した後の情報のリストである。そして、その情報のリストでコップ(モノ)を全て説明できるかと言われれば、そのようなことはないだろう。

整理すると、モノは情報を持っており、それを僕らに与える。その与えられた情報の中から、フィルターを通して、残った情報の中から僕らは情報をピックアップする。ただし、モノそのものの本質にはアクセスできない。端的に言えば、モノは僕らに語りかけ、僕らはそれを聞こうとするのだ。

さて、ここまでは、あくまで「人間とモノ」を中心に見てきた。しかし、この「アフォード」は「モノとモノ」の間にも起きていると考えることができないだろうか?

例えば、先ほどのコップの例に引き寄せてみる。仮に、このコップはテーブルの上に置かれているとする。コップは、テーブルに対して、「受け止める」という行為の可能性をアフォードしている。一方で、テーブルはコップに対して「置く」という行為の可能性をアフォードしている。

ただし、これは、お互いにコップ、テーブルのある1面のみをアフォードしているため、お互いの本質(コップをコップたらしめる何か、テーブルをテーブルたらしめる何か)にはアクセスできない。それでも、コップとテーブルの間にアフォードの関係が成立しているために、コップはテーブルの上に置かれている。

つまり、モノとモノは語らう(情報を与えあっている)。ただし、モノ同士もお互いの本質には近づけない。

現在、IoT(モノのインターネット)という考えが広く普及している。しかし、そもそもオンラインに繋がれていなくても、モノ同士もすでにお互いアフォードを行い、ネットワークを形成していると考えられる。IoTは、その1つ形態としても考えられるだろう。

もちろん、人間もこのネットワークの1つとして組み込まれている。ネットワークには中心はない。モノも人もフラットにネットワークを作り、その時々でネットワークの主役が変わっていく。あたかも、気まぐれに動くラグビーボールを巡って、選手たちが展開するラグビーの試合のように。
(ゆえに、「デザイン」はいかに「モノとモノの関係」も考慮に入れられるかが一つのポイントになるかもしれない。)

ただし、ここで興味深いのは、道具やモノ、状況の変化に合わせて、道具やモノ同士のアフォードのネットワークは変化することもある。例えば、テーブルが壊れてしまったら、コップに対して「受け止める」という情報をアフォードできなくなる。ここで、この壊れたテーブルはネットワークから外れてしまう。(このことについては興味深いが、別の機会に考えてみたい。)

僕らは、アフォードでつながれたネットワークの中にいる。そこでは、人間とモノ、モノとモノ同士がお互いにその素性を知らないまま、お互いに関係している。関係しつつ、関係がない。

モノとモノは語り合う。そんなモノ同士の会話に耳をすませてみるのも面白いかもしれない…

#日記 #コラム #エッセイ #デザイン #アフォーダンス #コップ #テーブル #モノ #オブジェクト #ネットワーク




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