見出し画像

ただひたすらに徒然をぶちまけるの回。

久々にこの日記を書く。ああ、これは日記だったんだと気づく。不思議だ。私はずっと、自分から零れ落ちるものをなんらかの形にしてこの世に残そうといつも躍起になっている気がする。元来億劫な性格なので非常に面倒臭い作業に感じることは確かなのだが、それでもなんとか続けられているのは今年の裏テーマが『晒す』というところにあるからなのかもしれない。動画日記もその一つだ。出来がよかろうが悪かろうが、何を喋ろうがどういう方向へ言ってしまおうが兎にも角にもそのままの状態でネット上にあげている。今現在で私の動画は180本になった。目指すは1000本。まだまだ足りない。それでももうすぐ2割という気持ちでもある。もともと動画日記を始めたのはとある友人が動画撮影にハマりだし、自身のチャンネルに700本もの動画をあげていたことがきっかけだ。すごいなと思った。もちろん、何年もかけてその領域に入っていることは確かだが、コツコツ続けることによって何か一つでも形に残している人はやはり心から尊敬する。彼のようになるにはどうしたらいいのか考えたが、やはり自分も動画をあげ続けることが一番だというところに至った。1日1本あげ続けていけば少なくとも1年で365本にはなる。3年から4年も続ければあっという間に1000本になる。ただあげるだけでは面白みがないので、1年をカウントダウンしながらあげていこうというスタイルにした。初めはなんでもない動画だったが、今ではこの『1年をカウントダウンする』というスタイルを面白がってくれる人が増え、少しずつではあるがチャンネルに登録してくれる人が増えた。バイト先の先輩も熱心に見てくださっており、非常にありがたいなあと思っている。継続は力なり、の段階ではないのだがそれでもこういった瞬間に、やはりコツコツ続けて育てていくことの大切さに気付かされる。幸い、私は習慣化することが得意だ。そう考えると確かに、今年は表に出てバンバン踊ったり目立ったりするよりも力を蓄えたり、『裏方』に徹することが多いように感じる。そして意外にも自分は裏方の作業が好きだ。ポンコツプロデューサーとして名を馳せた20代ではあったがあの時の失敗を生かして今後はよきプロデューサーになろうと思っている。

そしてこれからは、ジェンダーの話をできるだけたくさんしたり書いたりしようと思う。やはり私はセクマイ(セクシャルマイノリティー)なので、そこは切っても切り離せない。つい最近、自分はビアンだと思ったと書いた。私の周りは理解者が多いので割とみんなすんなり受け入れてくれた。もちろん、人がどう思おうが自分のやりたいようにして生きていくのが私なのだが、それでも親しい人には理解してもらいたいと思うのが人間の性である。だからこそ、『今さらみなみちゃんに何が起きても不思議じゃない』と言われるのはとても嬉しいことである。みんな、ありがとう。

ビアンである、と書いたが正確に言えばおそらくビアン寄りのバイなんだと思う。それでも比率は2:8(男:女)という感じだ。男の人も好きだし、寝ることはできる。でも、なんというかもっと美味しいケーキがあるんだろうなとか、私が一番好きなのはパルミジャーノ・レッジャーノなんだよなあ、という感覚が強い。どういうことかというと、まあ、ざっくり言えば生物学的な問題であると言えば一番わかりやすいだろうと思う。チーズの話が通じやすかったので説明しよう。私はブルーチーズが単体では食べれない。しかしながら蜂蜜をかければ食べれる。これが私にとっての男性だ。パルミジャーノ・レッジャーノは単体でも蜂蜜をかけても何をしても食べたいし好きだ。これが女性だ。簡単にいうと、こんな感じになる。そんなにカテゴライズしなくてもいいのに、と言われることもあるのだが、この世界の先輩に言わせれば『カテゴライズすることで理解しやすい人もいるよね』とのことだった。私は明らかにこのタイプだろう。もともと分析するのが好きだし、ある意味で自分を実験台にして生きているようなものだ。心は常に天秤にかけられ束縛することはない。カルメンが"恋は野の鳥"と歌ったように、俺の心も魂も自由に飛び回るアヒルかインコだ。だからこそ、自分の本当の気持ちを我慢したくはないし、大切にしたいと思っている。あともう一つ。カテゴライズしなくていい人は、性自認と体の性が限りなく一致しているんだろうなと思う。その点においては、本当に、心底羨ましいなあと思う。俺は自分の性別はやっぱり決められないしわからない。だからこそ、一緒にいて『どっちでもない』自分になれる人が好きだしありがたい。そしてきっと、『ああ、ずっと一緒にいたいなあ』と思う人はそういう人だ。それがわかっただけでも俺はすごくツイてると思う。

ジェンダーの話を少し掘り下げよう。インナーチャイルドとかいろんな言い方があると思うが、自分の中の男の子の部分は、空手をやることによってかなり満足したようだ。そのためか、道場に行く日はホルモンバランスがすこぶる快調な気がしている。どうしても卵巣が1個ない体なので、ホルモンバランスが常に崩れている。このような状態だと一体何が起こるのかという点について話すと、例えばわたしの場合は朝起きたとき、ふと、おっぱいが嫌だなあ、だとか、お尻とか体の丸みが極端に気になったりだとかそういうことばかりで頭がいっぱいになる。そしてそれによって1日中、かなり苦しい思いをすることになる。もっと言えばそれだけで知恵熱が出ることもある。女性的な体を受け入れられない日においてはなべシャツを着ればだいぶ気持ち的に楽にはなるが、それでもなかなかに思うようにいかないことも多い。結果論として最近ではノーブラでいるのが一番好きだったりもする。あまりそこまで胸のことを考えなくてもいい。(もちろんそれでも我慢できないことは多々ある。)おっぱいのことを最終的に納得させるには自分の中のおかまちゃんを叩き起こすしかない。だからそう入ったときは兎にも角にも一旦踊る。踊ればおかまちゃんが少しずつ起きはじめるのでこの問題は少し解決する。

男、女という概念がない世界へ行きたいと思う。その世界が当たり前だったらどんなに幸せなんだろうと思ったりもする。自分の中で男女という概念が、誇りやアクセサリーのように思えるときはいいが、そうでないことが多いと感じる今はこの想いが消えないままだろう。だからこそ、自分自身がいろんなことに目覚めて行っているのは希望でもある。死にたいばっかりの世界に色がついて、ようやく自分の歩く道が見えてきたような気がする。

生きることでしか、わからないことがあるのだと思う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?