第26段 風も吹きあへずうつろふ人の心の花に。

徒然なるままに、日暮らし、齧られたリンゴに向かいて云々。

無題239

『一人で生きている方が楽だ』と思うことが往往にしてある。誰かを気にするとき、誰かを好きだと思った時、自分の心は本来の宿主を捨て、想い人のところへ行ってしまう。そうして帰ってくる気配のないまま、本来の居場所を失った体は永遠に彷徨い続ける。そんなようなことを繰り返すたび、好きになることは本当に面倒くさいことだと思ってしまう。サンドウィッチを作るときのように、あの食パンのように自分の心を分断できたらと思う。そうして美味しいレタスや卵やベーコンでも挟んで胃袋に流し込んでしまいたいとさえ思う。総ての感情を美味しく食べられたら、毎日はどんなに楽しいだろう。否、それは間違いだ。本来総ての感情は美味しく食べられる。辛いと思うもの、苦しいと思うもの、例え心臓が異物に切り刻まれるような痛みを伴った感情でさえも本来は自分にとって必要なものだ。神は私たちに不必要な感情を与えない。人間は頭がとても小さく、時として簡単に神の意図を理解することができない。だからこそ、『辛い』と思ったときにこそ、耳をすます。心の耳を澄まし、何を求められているのかを聞くことが大切なのだ。このことそのものを私はブログで繰り返し、『メッセージを聞く』と言っている。人生において大切なのはメッセージを聞くことだ。本当の沈黙に出会い、そしてその瞬間に神からのメッセージを聞く。何かに迷ったとき、打ちのめされたとき、これほどに大切なことはないと、いつも自分を奮い立たせる。小さい頃から自分の感情というものに振り回されてきた。生きているのがこんなにも辛く苦しいことの連続なのかと考えると、先に連なっていく人生の長さによく絶望したものだ。私は環境で言えば、光と呼べるような環境で生まれ育った。何不自由なく教育も、住む家も、そして家族関係も総てを与えてもらった。しかしながらどういうわけか、心だけが光ではないように思えた。何をもらっても素直に喜ぶことができず、子供らしいそぶりが全くと言っていいほど出来なかった。みんなはお誕生日プレゼントをもらって喜んでいる。楽しそうに笑っている。私は、それとは違った。私は『この楽しい瞬間がもう終わってしまう。こうしている瞬間にも、刻一刻とこの時間は帰っては来ないのだ。友達も親もみんな、いつまで一緒に居られるのかわからない。』そんなことばかりに目が行き、そうして同時にとてつもない哀しみと不安に追い詰められていった。嬉しいと同時に哀しいが存在する。喜びと同時に絶望が存在する。目を当てなければいいのに、私にはどちらもくっきりと見えてしまう。そんな自分の心が憎らしかった。身体の中から心臓を取り出すことができれば、この哀しみからも逃れることができるのかといつも考えていた。そのためか、小学生の時はよく息を長く止めて心臓の動きを止めようとしていた。でも、出来なかった。魂と身体の年齢が一致したと感じたのは、高校生の時だった。高校一年生になった時、初めて体が魂に追いついたと思った。そうして少しずつ生きやすくなったのだが、それでも私は闇に潜ることをやめなかった。私のことを『堕天使だ』という人が一定数いる。堕天使という言葉は嫌いじゃない。それでもそんな高尚なものでもないと思う自分もいる。そんな美しい神話のような話でもなんでもなく、ただ単に私の中で哀しみが占める割合があまりにも多すぎるような気がするだけだ。そしてそれを飽きることなくひたすらに感じ入っている、そんな人生のような気がする。堕天使ではないが、ペルセポネーにとても深いシンパシーを感じることがある。冥界の王、ハデスに誘拐され、気がつけば冥界の女王になってしまった女神の一人だ。彼女は元々は豊穣の女神デメテルーの娘であったが、ペルセポネーに一目惚れしたハデスが彼女を冥界へ連れ去るところから物語は始まる。一見、誘拐婚を彷彿とさせる物語の一つだが、私が思うにペルセポネー自身も闇の世界へ行きたかったのではないかと思う。彼女自身も、私と同じような心を持ち合わせていたのかもしれない。好奇心旺盛で飽き性、そしてとてつもなく頑固な心。だとしたら、彼女はなるべくして冥界の女王になったのだと思う。哀しみを理解する心が過敏な人間は、哀しみを見たいと思い、そして哀しみを感じたいと思う。そればかりが頭をもたげ、取り憑かれたように総てがそこに行き着いてしまう。そしてそれと同時に、人の哀しみについてもよくわかる。何を言わずとも、その人と話をするだけで、その眸を見るだけで哀しみがわかる。だからこそその中に含まれた、包まれた美しさが見える。そしてその美しさは世界を突き抜け、私自身を呑み込んでいく。その感覚を最も感じることができるのが、私にとっては写真だ。人の心は移ろいゆく。女心と秋の空とはよくいったものだ。だがそれとは相反して、哀しみというものはこびりついて離れない。だからこそその美しさも、筋金入りなのだ。

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