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苦しみからどう逃れるか

「心はたとえ何を経験しようとも、渇愛をもってそれに応じ、渇愛はつねに不満を伴うというのがゴータマの悟りだった。
心は不快なものを経験すると、その不快なものを取り除くことを渇愛する。
快いものを経験すると、その快さが持続し、強まることを渇愛する。
したがって、心はいつも満足することを知らず、落ち着かない。
痛みのような不快なものを経験したときには、これが非常に明白になる。
痛みが続いているかぎり、私たちは不満で、何としてもその痛みをなくそうとする。
だが、快いものを経験したときにさえ、私たちはけっして満足しない。
その快さが消えはしないかと恐れたり、あるいは快さが増すことを望んだりする。
人々は愛する人を見つけることについて何年も夢見るが、見つけたときに満足することは稀だ。
相手が離れていきはしないか不安になる人もいれば、たいしたことのない相手でよしとしてしまったと感じ、もっと良い人を見つけられたのではないかと悔やむ人もいる。
周知のとおり、不安を感じながら悔やんでもいる人さえいる」 

「ゴータマはこの悪循環から脱する方法があることを発見した。
心が何か快いもの、あるいは不快なものを経験したときに、物事をただあるがままに理解すれば、もはや苦しみはなくなる。人は悲しみを経験しても、悲しみが去ることを渇愛しなければ、悲しさは感じ続けるものの、それによって苦しむことはない」 

「ゴータマは、渇愛することなく現実をあるがままに受け容れられるように心を鍛錬する、一連の瞑想術を開発した。
この修行で心を鍛え、『私は何を経験していたいか?』ではなく『私は今何を経験しているか?』にもっぱら注意を向けさせる。
このような心の状態を達成するのは難しいが、不可能ではない。

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