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仏教の流れについて(1)無知だったこと、今ようやく成る程、と

ヒンドゥー教10講から。
空海の密教は全く正当なタントリズムだと。ヒンドゥー教の今日に残るタントリズムの儀式作法と空海が招来した真言宗の儀式作法は全く同一であると。ミシェール·ストリックマンは1972年学会のため訪日したがこのことにショックを受けて5年京都にとどまり密教を研究した。1300年以上も前に書かれた中国のテキストを通じ知っていたことが突然京都で目の前に現れた、と。インドの中世シヴァ教の聖典と中世仏教のタントラは全く同じもので、後者は中国から日本に伝わり、真言宗として今に生きており、中国では消滅し、インドでもカシミールにおいて最後のグル、スーワーミー·ラクシュマン·ジューにシヴァ教研究第一人者アレクシス·サンダーソンが1970年代に尋ねても彼の知識に欠けているところが多かったということだ。むしろ現代日本にこそタントリズムは密教としてフルに残っていると。即身成仏、投華得仏など。梵我一体。華厳思想ではひとりひとり、自分の中にも仏性があらかじめインストールされてる。それを密教儀式で解凍すれば素早く解脱できる。それだけに儀式の手法を伝授するのは誰にでもではなく、師弟間で一子相伝。だから最澄の開示の求めに対し、空海は弟子になってもらわなくては教えられない、と応えたのであって、意地悪だった訳ではないと。
真言密教の大日如来を神に置き換えれば、遊牧民の一神教の神と同じものになると。とりわけインド北部にイスラム教支配が広がると、仏教は救いの魅力を増すためにもよく似た構造に変容し、さらにヒンドゥー教として非イスラムインド宗教は大同団結したということだ。

密教とヒンドゥー教が似ていることは、こういうことか。また、密教のもうひとつの本山比叡山のOBが主導し、鎌倉以降日本に特殊に発展した浄土宗、浄土真宗、日蓮宗がなんとなくキリスト教やプロテスタンティズムと似ていると感じてきたのも、かつてインドにおいて生き残りのため仏教が遊牧民の一神教の姿に似せたことが、時を経て所を変えて発現した、ということのようだ。こうしてさとりと修行の宗教として始まったブッダの仏教は日本に伝わった密教で修行が簡素化され浄土宗浄土真宗において他力、阿弥陀如来のすくいの宗教になった。

こだわり、執着を持つと、もっともっとの欲、失ったときの悲しみ、が苦となる。
幸せに年を取って、年相応の問題に囲まれているのなら、知恵のシャカの仏教が確かに苦を軽減する。でもまた7年前のような深刻な大病が再発したら他力、すくいの仏教にすがりたい。
社会やその人がおかれる状況ですがる思想に選択肢があることに仏教の幅広さに感謝です。

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