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ウェス・アンダーソンの新作 「フレンチ・ディスパッチ」はちょっと嫌味なんだが、いろいろと考えさせる魅力もあっておもしろい


映画ってなんだろう?と思うことの多い今日この頃。

映画ってなんだろう、と思うことが多い。
何故かと言えば、見る手段がどんどん広がっているから。
映画館で観る、テレビで見る、PCで見る、スマホで見る、
最近ならヘッドマウントディスプレイ(HMD)で見るなんてのもある。

昔だったら、問答無用で映画は映画館で観るべき、となるのだが、
ここではそういう話をしたいのではない。
そうではなくて、映画が「体験するメディア」に
変質していることを少し憂えているのだ。
iMAXとか3DとかHDMとか、映像の視聴方法はどんどん、
「見る」から「体験する」に進化している。
映画のフレームという境界線はなくなり、
映像と現実が曖昧に地続きになっていく感じがする。
その先にメタバースがあるのだろうけど、
映画からスクリーンの枠という境目が消えた時、
映画(という表現形式)は消えてなくなるような気がするのだ。

映画にはスクリーンという枠とスクリーンまでの距離が必要

私は思うのだ。
そもそも映画は鑑賞するものであって、体験するものではない、と。

少し離れたところから、
スクリーンの枠で切り取られた世界を眺めながら、
あれこれ考えをめぐらせること、
それが映画を観ることの基本だと思うのだ。
それでも、映画のストーリーに引き込まれて、
笑ったり泣いたりハラハラしたり、感情移入できる。それで私は十分。

画面から少し離れて気持ちにゆとりを持って観るから、
俳優たちの演技を楽しんだり、映画監督たちのテクニックに唸ったり、
あるいはツッコミを入れたりすることができる。
映画は受動的だから芸術ではないと言われていた時代があった。
ボーっとしていても、目に入ってくるから。
めちゃくちゃ雑な理屈だが、確かに光があれば目に映像が入ってくる。
しかし、見る意志がなければ、それを理解することはできない。
私は映画を観(見)ると言っているが、
実は多くのものを見落として適当に分かったつもりに
なっていることが多い。
見るというのは意外に大変な作業なのだ。
だから、映画は繰り返しの鑑賞に耐えるし、
私の中で映画は絶えず発見され続けている。

映画を「鑑賞」するならウェス・アンダーソン

そんな、「映画を繰り返し鑑賞」する姿勢に最適なのが
ウェス・アンダーソンの映画だ。
ていうか、ここまでの前置きは、
W・アンダーソンの映画に感じる違和感を自分なりに消化しようとして、
うじうじ考えていた末に浮かび上がってきた理屈だ。

彼の映画は対象に対して90度、つまり真正面からの画面が連続する作風だ。
ブルーナの絵本みたいな感じ。
カメラがくねくねと動き回るなんて場面はない。
しかし、スクリーンに詰め込まれた、なんというか、
細工というのか仕掛けというのか謎というのか
遊びというのか引用というのか、
とにかく画面の隅々にまで詰め込まれたピースの数が半端ない。
つまりパズル的なのだ。
「諸君、ここに手がかりはすべて埋め込んでいる。
 さあ、解いてみたまえ。フフフ、君たちに分かるかな?」
と言われている感じ。
彼は、ストップモーションアニメもつくっているが、
実写の映画も動くストップモーションアニメ(なんだそれ?)
みたいな感じがする。画面に偶然映りこんだものなど一切ない、
と言い切れるくらいにコントロールされている。完璧主義?

できすぎて嫌味な感じ

だからかもしれないけど、彼の映画って、
ちょっと嫌味な感じがするんだよね。

一見(いちげん)さんお断り的な、分かる人には分かりますよねえ、
みたいな目くばせが鼻につく時もあるのだが、
長年映画を観続けてきた身としてはその目くばせを無視できないのだ。
受けて立とうじゃないか、そんな気持ちが湧きたってくる。
それでいて、彼の映画は画づくりがポップでかわいらしいので、
幅広い層に支持されているし。
なんて奴だまったく。

60年代のフランスの雑誌編集部
これ以上、彼にぴったりの設定はあるのか?

で、今回はまさに1968年頃のフランスの雑誌編集部のお話ということで、
平面的二次元的で、舞台のようなドールハウスのような箱庭のような、
スクリーンの枠がこれほど意味をもつ設定はないのではないでしょうか?

ということで、雑誌のページのごとく、
立体感のないグラフィカルにデザインされた画面が延々続きますが、
それが絶好調なのです。
きっちりと計算された画づくりと編集には一部のスキもない。
セットも小道具も背景も何もかもが完璧ですね。
映画館よりも美術館が似合いそうだけど。

ポスターのデザインがすごくいいね

画づくりのセンスは、映画の宣伝ツールにも見事に反映されている。
この映画には何種類もポスターがあって、
登場人物ごとに1枚ずつ作られているのだが、
このデザインがめちゃくちゃイイ。
デザイン、色づかいともに最高。
私は、なぜこういうものに弱いのだろう?
没入感にあふれたリアルな映像には興味ないけど、
ピクリとも動かないグラフィックデザインにはビンビン反応してしまう。

長年印刷会社で仕事していたからだろうか?
雑誌も大好きで、今でもちょっとデザインのいい雑誌を見ると
つい買ってしまう。ろくに読みもしないのに。
そういう経歴なので、グラフィカルなアンダーソンの画づくりルに
からだが反応してしまうのも、やむ無しというところか。

映画って何なのかは、よく分からないけど、
この映画は何回でも楽しめそうだ

で、今日の結論なのだが、
この映画はやっぱり映画館で観るのが一番ふさわしい。
小さな画面で見たら細部を楽しめないから。
雑誌をキンドルで読みたくない気分に近い。

で、ブルーレイとかになったら、何度も繰り返し見て、パズルを解く。
テレビに映して、お部屋のインテリア代わりにするという使い方も、
この映画ならありそうで、結局、映画って何なのだろうという、
冒頭の問への答は得られないまま、
見たはずの「フレンチ・ディスパッチ」の記憶は時間と共に薄れていく。
1度見たくらいで「わかった」ような顔をしないでほしいという、
ウェス・アンダーソンの薄ら笑いも目に浮かぶ。
なんか悔しいけど、次作に期待してしまう。
もうできているらしいですね。


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