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私設ライブラリ―への道②コンセプト編つづき

現在、私設ライブラリ―設立準備の真っ最中である。ライブラリーをはじめようと思ったきっかけから運用開始まで、そのプロセスをここに少しずつ記していこうと思う。大まかには、作ろうと思った意図(コンセプト)、場所について、設営のプロセスなどについてです。同じことをしようと考えている人の参考になれば幸いです。

今回は、コンセプト編の続きです。

本は天下の回りもの

本は読み終えたら本棚に納める。
(私の場合、途中で投げ出す場合が多いが)。
本がどんどん増えていくのを見るのは楽しい。
本棚がいっぱいになると「蔵書」感が高まる。
増えれば増えるほど、偉くなった気分になる(もちろん、完全な勘違いだが)。なので、溜まれば溜まるほど、本を手放そうと思わなくなる。
本棚が空になったら、自分のメモリーも空になったような気がするからだ。
しかし、本の立場になって考えるとひどい話だ。
1度読まれただけなら新品とあまり変わらない。
まだまだたくさんの人を感動させる自信があるのに、持ち主の見栄の犠牲になって、そのまま朽ちていくなんて。

ある日、本棚から本が落ちてきて、私の頭に当たった。
「われわれを解放しろ!」
私には本がそう叫んだような気がした。
というのは作り話だが、本棚を眺めながら、ここに本を並べていても自己満足以外の何物でもないなあ。本が哀れだな、と思いはじめたのは事実だ。

寺山修司さんは言った。
「書を捨てよ、町へ出よう」
私は言う。
「書よ、町へ出よう」

お金を払ったからといって本を死蔵させてはならない。
逆に、本を次の人に回す使命を負っているのではないだろうか。
ちょっと大げさな表現になってしまったが、
ライブラリーをはじめる理由のひとつであることは確かだ。

ライブラリーなら、多くの人に読んでもらえるし、見てもらえる。
出版業界を支えるためにもっと新刊を買うべきという意見もあるが、その前にもっと本好きを増やさなくては。
電子書籍で充分じゃんと思っている人には、リアルな本(物体としての本)を手にしてもらうしか方法はない。
実際に本とふれあうことで、五感を刺激する本の本質を実感してもらえるのではないか、と思いたい。
本は所有されるものでなく、人から人へと渡り歩く「天下の回りもの」であることが本来の姿。
だから、私はその歯車をぐるぐると回す役をしてみたい。

運営パートナーは物語好き

ライブラリ―は一人でやるわけではなく、実生活の永年のパートナー、つまり妻と一緒に計画を進めている。ここでは、彼女をMIHOと呼ぶことにする。
読書苦手派の私と違って、MIHOは典型的な読書好きだ。
私が科学系、評論系をよく読むのに対して、小説つまり物語が大好きだ。
ジャンルは異なるが、好みは似ていると思う。

人使いがうまい(荒い?)MIHOは今回のライブラリ―計画の大きな推進力である。
次回は、その彼女の天性の勘が発揮された、ライブラリーの場所についての話になる。
この場所との出会いが、ライブラリ―計画のレベルを大きく引き上げることになる。

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