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「事業・転職」

出発!!

個人開業から3年後、様々な問題もありましたが、定期チャーター便も獲得し、車両4台・従業員共に5名体制で法人組織へと発展することができました。

今では笑い話ですが、従業員の一人が双子の兄の免許証を使って配送業務を行い、違反で免停になるまで分からなかったという身辺調査も甘く、40数年前とはいえ管理体制のずさんな経営者でありました。(笑)

開業当時は売り上げが500万にも満たない時代でも、友人に「億の売上」を達成すると豪語してはよく笑われたものです。

「拡大!」いけ いけ ムードの時こそ、要注意!
お弁当チェーン(フランチャイズ)の話が舞い込んできました。
畑違いでノウハウもない業種です。しかし、拡大の意識と信頼できる先輩がチェーン店北海道本部長の勧めなので結論を出しました。

勿論、事業計画、資金調達も約半年かけての計画でした。出店場所、客のリサーチ、客単価など条件は整ったのですが、資金調達が難航。一旦はあきらめたのですが、「チェーン本部が応援」することで開店へと進みました。
それが、経営者としての甘さを思い知らされる「経営の勉強」になったのです。

結論は、フランチャイズ本社の決済・了解もなく資金はショート。銀行外からの借り入れがもとで、本業の軽運送業まで揺らいでいきました。

ある著書に緊急事態になると、トップの決断は二通りに分かれる。重要な問題だからこそ部下や仲間の意見を聞き、皆で決める。一方、情報を集め検討をして最後は孤独だが決断する。
二択のうち危機の時に強いリーダーは後者であると語っていました。
零細企業のトップ程、責任と「即断即決」が要求されるのです。

私は継続を決意しました。
経費節減のため、運送業の事務所を一時閉鎖、運転手には直行直帰、事務所メンバーは弁当店へ出向してもらい全員に現場に入ってもらったのです。
弁当店の現金仕入は続きましたが、従業員7人の給与と店の維持、支払いは守死しました。

闘争は続き、私自身は開業当初の生活状態であったものの、責任感などのモチベーションはむしろ上がったのです。
最終的には店を手放し、債務整理で縮小となりましたが、ピンチがチャンスとなりました。

チャーター便に入っていた業者の社長から「機械を譲るので、うちの下請けをお願いしたい」との要請がきたのです。それも、機械代金は月々の支払での相殺でいいという想像を絶せるドラマでした。

当時、その会社への派遣員は末弟でした。その彼に機械の操作技術を習得してもらい、素人軍団でチャレンジしたのです。一部定期の軽運送業務を続行し、みんな運転手から工場要員に転職してもらえました。

同時に工場として使用できるビルも好条件で借りることができたのです。
借り入れ先である信用組合の支店長の実家ビル1階が空いていたのでした。
この時ばかりは、チャレンジ精神が運も味方にできたのです。

その後もいろいろありましたが、ピンチは挑戦でチャンスに変える事を実感しました。

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