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クリスチャンへの道 それはなんとなく#9 受洗に向かって前進中

受洗コースは全2回。1時間程度です。
礼拝のない静かな平日に教会に行くのは初めてです。
初めて入る部屋です。ドキドキ~。
ワイシャツにネクタイとカーディガンという軽装の牧師が迎えてくれました。

以下、当時のメモを元に思い出します。メモのとりっぱなし、メモが不十分ということもあり(あかんがな)、いろいろ中途半端。

賛美歌を持ってきてくださいと言われたので、賛美歌を書棚からとって部屋に入りました。
「では賛美歌67番を歌いましょう」
あ、賛美歌から入るんや。そして初めて見るヒムプレーヤー。
こんな大きさなんやぁ、と変な所に感心しながら賛美歌を歌います。
歌うと言っても、シャドーイングに近いです。賛美歌知らないんですもの。
牧師が歌っているあとを、微妙にズレて歌います。

そしてまず、キリスト教について教わりました。
キリスト教で言うところの「罪」とは、ギリシャ語で「ハマルティア」的を外すこと。
(洗礼を受けてって言ったかどうかよく覚えていませんが)
的を外さないで生きることを目指す。
「的」=「神」神様の方を向いて生きること、だそうです。

釘を差されたのは、「洗礼を受けても何も変わりませんよ」ということでした。
受洗コースで、この事を言うと「そんな事はわかっていますよ」とみなさんそういうのだそうです。
でも、受洗してから「洗礼を受けたのに、何も変わらないじゃないですか!」って言うんだそうです。
牧師はそんな声を嫌というほど聞いているんでしょうねぇ。

山上の説教の「幸い」とは、ギリシャ語で「マカリオス」神様からの一方的な恵みという幸い。

悔い改めるとは、帰る、神様に帰る、神様の方を向くこと=神様の方も向いて生きること。だそうです。

そして洗礼式はどんなことをするのか聞きました。
「滴礼」という、手で頭に水滴をつける形式です。
プールにじゃぼんと浸かるところもあれば、頭に水を注いだり、
その水はヨルダン川の水を使ってます、というのが売りな教会もあるようです。

そんな話を聞いて1回目はおしまい。
次の受洗コースまでに受洗作文を書いてくるよう言われました。
400字で3枚程度。
予想はしてたけど、やっぱりあるのか・・・
受洗にあたり、色々検索したら作文書くとかありました。
そして、その作文は信徒による奨励のときに使えるからと。
ウ~ン。


予想してたからいいけど、受洗コースを受けてから作文書いてとか言われて、めんどくさいなぁと思ってしまった。
そして、信徒による奨励もあるんだよなぁ・・・・・と少し心が重くなったのは事実です。

受洗してから来なくなった人も多くいるようです。牧師が変わって来なくなる人もいれば、教会内の人間関係で教会を離れる人もいるようです。
今の教会が嫌になったら他の教会に行ってください、信仰は捨てないでください。という牧師の言葉が心に残った受洗コース1回目でした。

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