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急いでそれを押せ

ツイッターを覗くと、達者な絵を描く人が多いことに驚かされる。絵が苦手な私は「どーして彼らはこんなに凄いことが出来るの!?わかんない!」などと驚きつつ、いつも楽しませてもらっている。まあ、一度も美術の鍛錬などしたことのないような人間が「絵が苦手」などと言うのはおこがましい気もするが、ここは素直な感想として一つ勘弁願いたい。

ならば自分も、ツイッターで目にする絵やマンガと同等のクオリティの文章を……と思ってはいるものの、そういった作品が書けているかと問われると自信をもって肯定出来ないのが悲しいところだ。そもそも表現手法の違う芸術を同一観点から評価すること自体が間違いだと考える向きもあるかもしれないが、他者が「触れて良かった」と思えるかどうかは、あらやる表現の価値基準の一つだということは論を待たないだろう。

元来「自分の好きな事を書けばそれで楽しい」と思えるタイプではなく、他者に触れてもらえて初めて楽しいと思えるタチなので、いつもnoteでスキを押してくれる方や、直接作品の感想を伝えてくれる方はとても有難いと感じている……なんてことを書くと、遠まわしにスキを押せと言っているのだろうか、と邪推される方もいるかもしれないが、そういうわけではない。なお、スキボタンはこの記事の最下部にあります。

その気持ちとは裏腹に、最近は自分の感性が周囲とズレていることを自覚することが多く、困惑している。これも自意識過剰な若い頃であれば「ふっ、どうやら俺にしかこの良さはわからんようだな……」などと、自分が他人と違うということに対して悦に入ることも出来たが、現在では「そうか。みんなはそうでもないのか……」「自分と世間の『面白い』がズレているのではないか」と焦燥感を強く感じているのが本音だ。ただ、こう書くと「はいはい、要するにスキを押せと言っているのね」と捉える読者もいるかもしれないが、そんなことは一切ないということを断っておく。スキボタンはこの記事の最下部にある☆の形のボタンです。

とは言え、自分が面白いと感じることが出来ない作品を作り続けることはやはり出来ない。 結局、自分が良いと思える文章を丁寧に書き続けるしかないのだろう。幅広い受け手を自分の土俵に引きずり込めるポピュラリティーと、受け手が少し触れただけで自分の作品だと認識させられるほどの個性。この二つを両立出来る表現者になりたいと思いつづけているが、それは容易に到達できるような低山ではない。研鑽あるのみだ。

最後に私自身がどこかで読んだこんな言葉でこの拙文を締めたいと思う。たしかニーチェだったか、シェイクスピア劇の台詞だったか……いずれにせよ胸に刺さる言葉なのは確かだ。

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