日々のあわわ #5【四十五歳は遠すぎる(その2)】

(前回からのつづき)

 この日、占い師は姓名判断から始まり、手相やらタロットやらアレやらコレやら、ありとあらゆる手段で占ってくれたようだが、残念ながらその詳細を私はほとんど記憶していない。ただ、占いの結果だけはよく覚えている。

「再婚はしますね」
「しますか……」
 何気なく訊いた質問だったが、その答に私はいささかたじろいでしまった。またするのか。結婚。勘弁してくれ。
「正確にいうと婚姻するとは限らないです。ただ仕事なのか趣味なのかはわかりませんが、あなたにパートナーが出来て、その方と『二人で生きていこう』という形にはなると思います」
「その、それは何歳くらいの話でしょうか」
「そうですねえ……三十五歳位ですかね」
 たった四年後である。想像がつかない。その時の私には四年程度の時間で今の虚無感が消え、結婚への意欲が復活しているとは到底思えなかった。やはり占いは占いか。そう思いつつも、その一方で「パートナーになるが婚姻はしない」という可能性が現在の自分の価値観の延長線上にある未来として妙にフィットするような気がしたのも確かであった。

 そして占い師はこう続けた。
「率直に言うとですね、どうやらあなたは若い頃は苦労する人生のようなんです」
「はあ……」
「あなたの人生の前半は楽しいことより大変なことの方が多いんですね。ただ悲観しないでほしいんです。人生が中盤に差し掛かると、ようやく本当に自分のやりたいことが出来るようになったり楽になってきたりする。そういう人生なようなので」
 悲観しないでくれと言われても、どうもあまり嬉しい話ではない。そんな人生、まるで若さをドブに捨てているようではないか。
「だから若いうちは苦労を前払いしているんだと思ってほしいんです」
 私は返す刀で訊ねた。
「そっちは何歳くらいで楽になりますか……」
「四十五歳くらいですかね」
「四十五……!」
 今度は遠すぎる。まさか、あと十四年も我慢しないと自分の人生が盛り上がってこないとは。いや、別に占いなんて信じてはいないのだが、いないはずなのだが、しかし……。


 あの占いから六年が経つ。おかげさまで離婚トラブルもすっかりカタがつき、もろもろの虚無感も一年ほどで消え去った。とはいえ人生というものは、どんな獣が飛び出すかわからぬ山道をカンテラ頼りに歩むようなものである。思わぬ痛い目に襲われることはもちろんあったし、大きな石につまづいて消えてなくなりたいと感じることもあった。
 しかしこの六年の間、そんな辛い気分になった時にふっと気分を軽くしてくれたのは、あの四十五歳の占いだったように思う。信じているというのとは少し違う。四十五歳くらいの私の身に一体何が起こるのか、はたまた何も起こらないのかが妙に気になるのだ。生きるのが嫌になっても、最終的には「四十五歳が気になるし、そこまでは生きてみようか」という結論に落ち着くようになってしまった。
 そう考えると占いなんていうものは当たる当たらぬは二の次で、人が前を向くための方位磁針のようなものなのかもしれない。

 さて2021年1月現在、私は職場の倒産危機と家族の死というダブルパンチで気分がグッタリしている毎日を送っている私は、ふと思い出してあの占い師の名前をネットで検索してみた。するとどうだろう。彼女は知らぬ間にメディアにも顔を出すほど知名度が上がり、一か月先まで予約の取れぬ人気占い師になっていた。大したものである。
 そして私はいま予約ページを開きながら、「いま視てもらったら、どんなことを言われるのだろう」などとぼんやり考えているのだ。また半信半疑で会いに行ってみようか。あの時に助けてくれたお礼と、「三十五歳過ぎちゃったんですけど、私の結婚どうなってます?」という言葉を持って。

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