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【“トカイナカ”で会社経営】高山町からはじめるスローライフでハイパービジス


はじめまして。NOTEはじめてみました。

この5月に大阪から奈良県は生駒市いこまし高山町たかやまちょうに会社を引っ越してきました。周りは竹林と田畑に囲まれた、素晴らしく風光明媚ふうこうめいびなところです。
この田舎で会社がどんなチャレンジをして変化を起こし、何に投資して、何を得られ、何に貢献していけるのか。備忘的に、あるいは就活生向け、はたまた社内への通達および共有に、地元の方々への発信に、というわけで、会社経営の隅々について、これから書いてみます。

まずは自己紹介。株式会社リークラボ・ジャパンという会社の社長をしています、物部 智人と言いまして、4度目の年男を終えようとしており、おっさんからの脱皮をできず、ジジイへまっしぐらです。
今期で39期の古い会社でして、父親から事業を受け継ぎ社長業も気がつけば13年目。意外にも経営の勉強は好きで、勉強しては試して、失敗して、紆余曲折しながらも、何とかかんとか黒字な会社にはならせていただきました。お客様・仕入れ先様・先輩各位のおかげ様です。

さてしかし、ここでどんだけぶっちゃけて書いたらええか、温度感とかつかめてませんので、まずはヨソイキで、ここへ移った理由なんかを簡単に書いてみます。

着想したのは2015年。お伊勢さんでの経営の合宿のプログラム内で、今まで考えていただものが覚醒的につながり、田舎で調和のビジネスを生みだすこと、その連続性を生むことを心に決めました。
日本での人口減や景気低迷に円安、世界での戦争に人口爆発や農業問題、または温暖化や資源問題など、森羅万象しんらばんしょうの課題を抱えるなか、拡大繁栄、大量生産・大量消費というドカドカした時代感から、しっとり穏やかで調和的な、哲学的な時代感への移行期であるように思っています。
そんななか、徳島の神山町かみやまちょうがIT企業集まったり、淡路にパソナさんが移ったり、セールスフォースさんは白浜だったり、文化庁が京都に来たり、3.11の震災も大きなきっかけで、働くこと、生きること、ホントのトコロみたいなところを考えはじめた次第です。
なおのところ、中小企業の強みは、思って、行動し、変化できること、でありますから、我々が行動すべきで、追求すべきが何か、僕のなかにふんわりとあるものを具体化せねばと、リスク承知で行動に移したわけであります。
生産性やコストは大事ですが、優先順位は1位ではなさそうというのは、なんだかわかる。安定性が1位も、おもろない。せっかく会社経営のバトンをもらって、一所懸命仕事して、お客さんに価値提供して、喜んでいただいて、いろいろご縁が紡がれ、そんな仲間が集まってきて、チームとしてある程度のパワーを持って、そしてその先。
ましてやこれ以上ビジネスを拡大すれば、いくらニッチ市場とはいえシェア争いは免れない。できれば争いたくないし、勝者がいれば敗者がいる。勝ち続けるかもしれないし、負け続けるかもしれない。そういう魑魅魍魎ちみもうりょうなん、この世は、と思うんで、そこを脱して、僕らなりの経営のスタイル、仕事を作るべきだと思い至りました。

でも今の仕事以外はドシロウトなんで、そんな簡単に仕事なんて作れやしない。でも僕らが今まで煮詰めて、磨いてきた仕事は、どうやら悪くはない。これらはまたいずれ紹介しますが、夢とロマンのある三方善しなビジネスやと本人は思っていますんで。

だとすれば、僕らが、チームで何を目指し、何を行い、どんな結果となるのか、もうチャレンジしかないと思いこの高山町に移って約半年。早くも変化の兆しは芽生えつつあります。
まずは本業での成長発展をど真ん中に据えつつ、新しい調和のビジネスを生むこと。それを渦の中心となって活躍できるリーダーを育成すること。それを経営理念として会社の目的に定めました。
僕が父親から1つの事業を受け継がせていただきました。それを2つに分けて受け継いでもらい、さらにそれを2つ以上に受け渡していく、となれば、指数関数的であり、これぞ永続的発展であり、式年遷宮的「変わり続けるかわらなさ」であるところの、じわっとくるもんがありますので、じわっとくるもんをじわじわやっていきたい、というだけであります。
ここ生駒市高山町で、我々がどんなビジネスをじわじわと生んでいくのか。ぜひ見守っていただき、叱咤激励しったげきれいいただけますと幸いです。地元高山の皆さま、末永くいいえ永続的によろしくお願いいたします!


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