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12月に行った個展の話

忘れないうちに個展の話も書こう。
今回はいつもと違うテンポで書いてみたい。

私は決まった場所へ出かけるときは、一筆書きで歩きたがる。
同じ方角に行くなら1度ですべてを済ませたい。これだけ謎に効率厨。
戻ったりウロウロするのは疲れる。旅のときだけで十分だ。

というわけで、12月某日に同じ方角の展示会を3つ梯子した。

その日は午前仕事で、午後はお休みだった。
制服から着替えやすさで選んだ私服に戻り、職場から乃木坂へ向かう。


3つの展示会

躍動する現代作家展

まず最初に。デジタルハリウッド大学大学院、そしてprotooutで知り合ったナナさんの作品を見に国立新美術館へと辿り着いた。
デジハリのホームカミングデーで初めてお会いして、私はナナさんのことを知らなかったけれど話しかけてくれた。
何も深い話はしたことがないけれど、なぜか今は友人だと思っている。

会場に行くまでに、雑誌から飛び出してきた様なお洋服を着た人ばかりとすれ違って驚いた。「え、それ日常で着る服なの…?」と思うほど、誰もが目立つ格好をしていた。
仕事帰りでお洒落をしていなかったために随分気後れし、トイレの列に並ぶのも億劫だった。
服は心の鎧だ。港区を歩く格好が私なりにもある。次は恥ずかしくない格好で行きたい。

さて、作品の話をしよう。
あの展覧会の中で異質だった。唯一のインタラクティブアートだったと思う。(正確には他にもあったようにも思う。)
会えないかと思っていた大学院の友人とも会え、各々作品を体験した。


"Qi"
スニーカーだと思っていた靴はサンダルで、恐る恐る足を通して暗幕をくぐった。薄らぼんやりと前の人が体験した軌跡が残っていて、誰に言われるでもなくその道を追いかけた。
どういう仕組みだろう。体重か?踏みつけると光る砂なのか。光らせる靴なのか。作品を知る前に考えることが、技術だった自分に少々ガッカリしながら顔を上げる。
あっという間に道の終わりが近づいて、足元を見ながらズンズン進んでしまった。

立ち止まり、ふと振り返ってみた。

あ。なるほど。

俯いたり、見上げたり。
進むから振り返る道がある。
戻ることはできないけれど、ここまで私は歩いてきた。
人と違う道を進んできた。

足跡は確かにそこに。

Qi

そんなことを思いながら暗闇から出た。

明るかった。会場の照明が。
感傷的な気持ちは、ニコニコお喋りしている友人達により吹き飛んで、「すごかった!良かった!」なんて、私から出てきた言葉は大層チープだった。
薄っぺらい人間だこと。

少し雑談してからナナさんとは別れた。
他の人の作品も友人と早足に眺め、よく分からないくらいがアートとの適切な距離感だなと会場を後にした。

真空のゆらぎ展

そのまま国立新美術館に行くならば、と気になっていた真空のゆらぎ展も行ってきた。

恐らく目玉の光の壺は、「おぉ。でかい。」と思ったものの、それ以上の感想は出てこず。壺と写真を撮るお姉様方を横目に通り過ぎた。
壺の中で動くライトとその影を楽しむ情緒が私には足りなかった。
この日は土曜日。人が多くて参る。

影のゆらぎ



その先の作品は写真も撮らず、ほうほうと眺めて、さて次へ行こうと出口へ急ぐ。もう一つ行きたい展示があるのだ。


…最後の作品で足が止まった。

「すごい。」

巨大なベールが静かに波打つ空間に圧倒された。

まさに「ゆらぎ」。

どういうバランスで風が吹けば、あれだけ大きく重たい布がしっとりと舞うのか。

静かで広大な海のようだった。美しい夜の海。
「嫌なことがあったら海を見に行くといい。」と母が言っていたのを思い出した。いつまでも見ていられる。自分の小ささを思い知るには十分な空間だった。

ベールのゆらぎ

会場を出ると鮮やかすぎないオレンジ色が差し込み、イヴ・サンローラン展でごった返していた人は随分と居なくなっていた。
こちらも観たかったけれど、着飾った人が多すぎる。またいつか。

PLAYING CARDS

電車で二駅先へ進んで、予定最後の展示へ。
元々行きたいと思っていた。吉田ユニさんの展示会。
化粧品エテュセの広告に感動したのを覚えている。スカートで口紅を表現する発想に脱帽だった。美しかった。

今回はトランプが題材。
すべての絵柄が、お花や食べ物などで描かれていて、遠目で見たらトランプそのもの。ただ違和感はあり、よく見るとワッ!パスタだった!となるような作品達。

最初は感動するが、54枚見ていくと終盤には飽きてくる自分がいた。
1番好きなカードはどれだろう?
エテュセの広告のように、洋服で描かれたトランプがいいな。

QueenやKingも素晴らしかった。

展示の動画を撮っている人も居た。これがTikTokに載っていくのか…と客の動向も見て、少し笑ってしまった。一生懸命だから、スマホをくるくると巧みに動かして動きが不可解である。こういう人のお陰で観に行こうかなと思わせられるから、いいのだけど。観に来たのか、撮りに来たのか気になるところではある。

ここでもまた、最後に設置されている映像に惹き込まれた。作品を作っている時の、所謂メイキング動画である。

なんて繊細な。

丁寧な仕事。丁寧なものづくり。
人を感動させるには理由がある。

飽きたなんて滅相もない。この映像を見てもう一周したくなった。
こちらも人が沢山で並ぶ気力は残っていなかったが。

せっかく来たから思い出に、とグッズを見て悩んでいるうちに、「まぁいいか。経験値が増えたもんね。」と会場を後にした。

梯子を終えて

正直に言って、美術館や博物館はそれほど好きではない。
「よく分かんないんだよね。」と言いながら、ひとめ見たらさっさと出口へ向かうような人だ。
それでも行くのは、一度でも見ることに意味があるし、途中書いた通りよく分からないくらいが丁度いいと思っているから。
この作品にはこんな意味があって…と答えをもらうのではなく、相手の世界に触れて、自分の世界の中で解を得たい。

それから、医療とアートは対極にあって、それでも交わらせたいものだなと思考に耽った。
ホスピタルアートを知ってもう10年近く経つが、あまり浸透していないように思う。デジタルアートのリハビリだってある。私がやりたいことはどこだろう。

医療×アート

いいね。
それをする人はメディカルアーティストってことになる。
なにか作れるかなあ。
そうやってワクワクしながら、帰路へついた。


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