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Twitterで原始人の群れと交戦した【戦闘レポート】

こんばんは。ナマポニーです。

家族3人生活保護をもらいながら生きています。

今回の記事は、ちょっぴり命がけだったので、敬体ではなく常体で書いていくので、御免あれ。

そして、本編は、Twitterであるツイートがきっかけで原始人と遭遇し、交戦した記録を【戦闘レポート】として考察と対策を交えたものを、ここに残しておく。

それぞれ、置かれた環境や立場は違うだろうが、何かしらの参考になればと思う。

前提宣言

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まず、最初に伝えておきたいことがある。

私は、生活保護という制度に、そして、日本という国や日々、勤労に努める納税者の人に対して心から感謝している

また、私たち家族が安心して、ひとつ屋根の下、衣服を着、ご飯を食べることができるのは、納税者や制度を作った先人のおかげである。

そして、これがあたかも当然のもの、当たり前のものと考えているのではない、ということを日々痛感している。

現状

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私の現状について。

私は、もともと自営業とアルバイトを掛け持ちしていたが、コロナの影響もあって、自営業は廃業、アルバイトの方は事業を占めることとなり、自動的に解雇となった

現在は、職業訓練校で勉強しつつ、就活も同時並行で進めている。

ただし、コロナ禍で失業者が5万人以上に上るなど、就職活動も困難を極め、職業訓練校のキャリアコンサルタント曰く、「卒業しても未だに職が見つかってない者」もいるようだ。

経緯

本題に入る。

私は、生活に困窮した者や、日々の生活で精神的に辛そうな人に向けて、自分の生活保護の経験や知識を、日々Twitterで情報発信をしている。

そして、今回のツイートがこれだ。

約380リツイートほどで、今までツイートしてきた中で、私にとっては一番大きな反響となった。

ただ、調べてみると、Twitterでよく聞く”炎上”というものの定義は、1万リツイート以上からであるとの事だったので、”個人的プチ炎上”と言った方が良いかもしれない。

しかし、プチ炎上といってバカにする必要はない。なぜなら、リツイート数もある一定数を超えると、炎上の本質的構造については同質であるからだ。

ツイートの内容について説明

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このツイートの内容についてだが、そのまんまである。

妻が妊娠検査薬で、妊娠の線が出た。

しかし、まだ医者からの診断はなかったため、「妻が妊娠したようです」という確定ではない言い方をしたのだ。

また、私は日中は学校なので、妻が生活保護のケースワーカーにこの旨を伝え、病院に受診する為の「診察依頼書」を頂きに行った

そして、妻にケースワーカーの方はどうだった?と聞いたところ、このような態度であったらしいのだ。

以上が、今回のツイートに至った経緯だ。

ツイートの反応

そして、このツイートに対するコメントを一部抜粋してみた。

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-原始人に遭遇した-

いよいよ、ここから事の核心に迫っていく。

まず、私が述べなければならないのが、彼ら一人一人の発言や人格について、私は全く憎んでも怒ってもいない、ということだ。ホントに。

むしろ、ちょっぴり悲しくなってしまった、という方が適切であるかもしれない。

なぜなら、ここでの彼らは、人間としての彼ら自身ではなく、群衆としての原始人が発現してしまっているからだ。

ここで、私が用いる「原始人という名称」についての説明をする。

原始人とは、野蛮人とは

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一般的に原始人と言えば、約200万年前に現れたヒト属の人類種である。

しかし、ここで私の定義する原始人とは、彼ら個々人のことではなくて、私たち全ての人が内に秘めている動物的本能が発現した者、と定義する。

要は、狩猟生活を主として活動していた戦闘民族のことだ。

そして、今回の私のツイートがきっかけとなり、私たちの内にある原始人を呼び覚ましてしまったことが原因であり、彼ら個人の問題ではないことが重要なのである。

また、そんな原始人は、マンモスを全て駆逐し絶滅に追いやった後も、現在私たちの中で、マンモス(標的)を本能的に求め、彷徨っているのだ

原始人の好きなもの

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さて、私たちがTwitterでよく目撃する原始人であるが、どのようにすればお目にかかれるか説明する。

まず、原始人の好きなものは何か考えてみよう。

原始人は、火が大好きだ。

獰猛な野獣から身を守ってくれるし、恐怖心が和らぐ。そして、野獣は火が苦手な事を知っているし、自分が強くなった気になる

原始人の呼び出し方

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そして、火をつけるのに必要な物は2つある。

1.乾燥した木=叩きやすい対象

2.着火剤=問い

まず、1.乾燥した木=叩きやすい対象についてだが、Twitterで言うところの、スキャンダルや不正、そして、社会的に弱者、マイノリティと呼ばれているものだ。

今回の場合は「生活保護受給者の妊娠」という、いかにも原始人好みの火種ではないだろうか?

2.着火剤=問い

火起こしも大変だ。

キャンプでも、うちわを使おうものなら、なかなか火が燃えない。

そんな時に便利なのが、着火剤だ。

そして、Twitterでいうところの着火剤こそ「問い」に他ならない。

原始人は「せっかち」ゆえに、問いをチラつかされると、答えという名の誹謗中傷や暴力を、すぐさまコメントや引用ツイートとして行動に移す傾向にある

以上が、原始人と高確率で遭遇する方法だ。

正直、今回のツイートをした時には、100リツイートくらいはいくだろうと予想はしていたが、その約4倍の結果となった。

原始人の特徴

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ここで、ギュスターヴ・ル・ボンの「群集心理」から、原始人の特徴について説明する。

群衆中の個人は、もはや彼自身ではなく、自分の意志をもって自分を導く力のなくなった一箇の自動人形となる。

群衆中の個人とは、私が先ほど述べた「人間の中に潜んだ動物的本能が発現した者」のことであり、JOJOでいうところの承太郎がスタープラチナについて”俺に悪霊がついている”と述べたのと似ている。

また、原始人は、誰か別の者が先に攻撃を始め、自分には責任をとる必要がないと認識するや否や、それに続けと”正義”を振りかざしタコ殴りにするのである。

なぜか?

原始時代をイメージすれば答えは自ずと出てくるだろう。

我々ホモサピエンスや原始人は、圧倒的に非力であり、元から備わっている両手、両足にはほとんど殺傷能力はない。

では、どのようにして原始人がマンモスを駆逐するに至ったか?

それは、

我先が非力であるがゆえに、みんなで寄ってたかって、木の槍や矢をマンモスめがけてぶん投げたから

に他ならない。

つまり、人間には何かの標的に向かって、群れを成して袋叩きにするようにDNAに刻み込まれているのだ。

イジメや差別が亡くならない理由がここにある。

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例えば、インドで有名なカーストという制度があるが、そこにはカーストにも属さない不可触民(ダリット)という、アウトカーストと呼ばれ迫害されてきた人々がいた。

そして、日本にも「えた、ひにん」という迫害されてきた身分の者がいた

あなたも、学校の道徳の授業で「えた、ひにんの差別をしてはいけませんよ!」と先生に習った覚えはないだろうか?

そして、現在では我々の社会で、「えた、ひにん」という言葉を見聞きし、迫害されている人はほとんど見なくなったと思う。

しかし、悲しい事に、それはただ迫害されるものの対象が「えた、ひにん」から「生活保護受給者」に転移したに過ぎないのである。

これが、我々人間の本質的な部分であり、変えることができない本能なのだ。

原始人との交戦レポート

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ここでは、私と原始人との交戦レポートをいくつかピックアップする。

私が、原始人の余りの低能さに吹き出してしまったのが、これだ。

1.原始人は個人情報を晒す、想像力の欠如

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過去に、怪しい原始人からTwitterのDMで連絡が来た。

私は、この原始人から、職業や年齢、所在地を聞かれたので答えておいたのだが、なんと、その原始人が今回のツイートのコメ欄にその情報を晒していたのだ!!

私の年齢は50歳で、居住地は青森である!と。

そして、それについて、原始人の群れがわんさか集まって、嘲笑大会を始めているではないか!?!?

それが、偽りの情報であるのにも関わらず!!!

私は、原始人の群れの”想像力の欠如”に心底驚いてしまった。

なぜ、私が野蛮人に対して真実を告げると思うのだろうか?

病院の場所は病人が知っておけばよいのであり、悪魔に知らせるべきではないとなぜ分からないのだろうか?

私が、サル以上のサルと彼らについて揶揄した理由はここにある。

ちなみに、DMで「50歳なのに子供を作って大丈夫か?オマエ」と聞いてくる者もいて、私はさらに驚いた!

ただ、原始人の知能の低さに驚いてしまったが、仕方がない。

認知革命は原始人にはまだ早いのだから。

2.生活保護を抜けてから子供を作れ!順番逆!

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これもコメントが多かったやつだ。

私は今まで正社員もやってきたし、自営業もやってきた。

そして、現在は職業訓練校に通いながら、就活をし、一時的に生活保護を受給している、そんな状況である。

しかし、なぜ原始人は”現在の状況その一点”にしか目を向けることができないのだろうか?

納税してきた過去があり、未来の為に勉強している、という事を何度もツイートしているのにも関わらず。

目があっても見えないのか。耳があっても聞こえないのか。覚えていないのか。
マルコによる福音書 8:18

また、私の知人で、家族が4人いる者がいるが、今回のコロナ禍のために解雇を言い渡された。

彼も、私と同じように金もなければ仕事もないという状況に追い込まれた。

しかし、そんな彼に対してなぜ子供を産んだんだ!?将来失業して生活保護を貰うかもしれないのに!というバカはいないだろう。

私には、なぜ彼らがそこまで無意味な「順番」に固執するのかが理解できない。

彼らには、

後にいる者が先になり、先にいる者が後になる

マタイによる福音書20:16

という言葉の意味も理解できないのだろう。

結局、彼らは「無意味な順番」を気にして人生を棒に振るのだ。

ちなみに、クソリプのなかで、「コイツ、エホバじゃね?」というものがあったので、キリスト教のプロテスタントであることをここに表明しておく。

3.生活保護受給者の子供なんて可哀想!

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「あなたは生活保護でいいかもしれないけど、子供の身になってみて!可哀想!」という原始人の群れが多数出現した。

まず、何か勘違いしているのは、生活保護の定義として「現在、職がなく、資産がないもの」ただこれだけである。

それなのに、なぜ生活保護受給者がまるで何か犯罪を犯してしまったかのような偏見をもつのだろうか?

なるほど、原始人は偏見を安易に何の思考もなく受け入れ、かつ他人に強制する性質をもつことが明らかとなった。

この原始人の特徴について、自分の子供にもしっかりと伝えていくのが親としての使命だろう。

「子よ、原始人には気をつけろ!」

また、「子供を産むべきではない!私は貧乏だったから子供を産むのを我慢したのに!」と、自分の厚顔無恥を認識せず、私に強要してくるものもいた。

はっきりというが、それはいわゆる

同調圧力

なので、馬鹿な真似は止めて頂きたい。

なぜ貧乏だから、お金がないからと言って、他人に対して子供を産まないことを強要してくるのか?

彼らは、自分が「人の生死を支配することができる神である」と、勘違いしているのではないだろうか?

しかも、あなた達がいうところの貧困は、相対的貧困であって、絶対的貧困ではないところも重要なポイントだ。

相対的貧困とは、”周りに比べて貧困である”という定義であるのに対し、絶対的貧困とは、本当に食うに困っている、着るものもない、家もない、といった貧困のことである。

生活保護の場合はどうか?

住む家もあるし、食べ物もあるし、服もある、義務教育も受けさせることができる。

私立の大学に行かせることはできないかもしれないが、彼ら高等教育を受けた原始人を見れば、そんなところに行く必要はないと薄々判断できるだろう。

私が伝えたい事は、ただ一つである。

なぜ将来、自分がそうなるであるかもしれないという、想像力が働かないのか?

それだけだ。

つまり、原始人は感情に流されすぐに行動に移しやすく、特に”想像力の欠如”が、最も深刻な問題なのだ。

悪魔の正体

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ここまで、彼ら原始人の知能がいかに低いのかを示してきた。

そして、一つ一つのクソリプの攻撃力はほぼ無に等しいことが分かった。

では、彼らの真の恐ろしさとは何か?

それは、

質ではなく、圧倒的なクソリプの量が、目に見ることができないえも言えぬ悪意の集合体を感じさせること

にある。

この群衆の悪意の集合体こそ、悪魔の正体であったのだ。

例えば、私がいくら銃を持っていたとしても、マウンテンゴリラが目の前に20頭いたら、間違いなくひるむ。

そして、一頭一頭確実に仕留めることはできるが、20発撃うち終わる間に無傷なままでいられるか?と言われれば、難しいだろう。

今回のツイートには、130件のコメントもあり、引用ツイートも含めれば、その倍はあるのだ。

群衆と対峙して気付いたこと、気をつけるべきこと

先に、ゴリラの群れの例えをお話したが、群衆と戦う時に気をつけないければならない事がもう一つある。

それは、

意識外からの攻撃

だ。

漫画「GANTZ」でぬらりひょんと戦うシーンを覚えているだろうか?

ぬらりひょんが圧倒的に強いため、GANTZチームは遠く離れた場所から、ぬらりひょんに対して”意識外からの攻撃”で仕留めようとする、あのシーンだ。

私もGANTZチームのように、原始人に対して遠くから銃でもって攻撃していると”意識”していた。

しかし、実際には逆で、私がぬらりひょんで、原始人がGANTZチームだったのだ。

つまり、私は群衆から”意識外からの攻撃”を受けていたことに、ダメージを受けた後に意識するに至ったのである。

例えば、私が原始人を呼ぶときに使った”問い”がそうだ。

クソリプの中で、攻撃力があるのは誹謗中傷の言葉ではなく、”問い”である。

問いによって、私は「本当に自分の行動や、発言は正しかったのか?」と自問自答して苦しむ結果となってしまった

もちろん、私はこのツイートをする時、ある程度の反響や攻撃があるであろうことは、もちろん認識していた。

しかし、実際に攻撃されたことがあるのとないのでは、雲泥の差なのである。

それはまるで、戦争について知っているものと、戦争に行ったものとがまるで違うように。

だからこそ、我々が何者かと戦わなければならない時、自らを過信してはならないし、自分だけが攻撃できるなどと勘違いしてはならない。

もしかしたら、あなたは既に、自分の意識外のところでダメージを負っているのかもしれないのだから。

そして、それに気づかないでいると、傷が深くなり、致命傷となるに至ってしまうだろう。

意識外からの攻撃に対する対処法

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さて、我々は、相手がいくら原始人と言えど、意識外からの攻撃を食らってしまうかもしれないと認知した。

私は、その攻撃に対する防御方法は、一つしかないと考える。

それは、

使命や信念、信仰

と呼ばれるものだ。

これらは、エヴァンゲリオンでいうところの「ATフィールド」の役割を果たす。

私たち人間の心は、弱くもろい。

Twitterを始めたばかりの者が炎上して、秒速でアカウントを消して退場したケースは後を絶たない。

それは、なんとなく人気になりたいから、とかただ金が儲かりそうだから、という安直な理由であるからだ。

しかし、プロ奢氏も言うように、Twitterとはサファリパークなのだ。いつ猛獣に襲われるか分からない事を知っておくべきだし、楽しむためにも対策はしておくべきである。

その対策こそ、信念であり、使命であり、私の場合では信仰であるのだ。

ホモサピエンスが獲得した最大の武器は、「信じること」に他ならない。

あなたが何を信じるかは、あなたの自由である。

自分自身か、金か、愛する人か、神か、人それぞれだが、一つだけ言えることは、

信じる力を信じる者は強い

これから

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以上が、私の伝えたい主な事である。

私の今後についてだが、社会的弱者の人が違和感を感じていたり、これはおかしいのでは?と思っていることを、これからも変わらず伝えていく。

私たちは、先人から受け継がれてきたものを、ただ浪費するだけではなく、自分の子供たちや未来のためにも改善し、バトンを渡さなければいけない

それこそ、私の使命なのだ。

ただし、それは信仰であり、愛に基づくものでなければならないという、前提条件を忘れてはならない。

戦いの場所

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また、私たちが戦うべき場所は、まさにネットであり、SNSなのだ。

なぜなら、ネットが現実世界の副産物ではなく、逆に、私たちの現実世界が、ネットからの副産物となりつつあるからだ。

実際に世界で起こっていることを見ると、ネットありきの現実となっていることを伺い知ることができる。

例えば、中東を混乱へと陥れたアラブの春も、フェイスブックがもとで群衆を刺激し、革命へと導いた

その革命という名の混沌につけこんで、ISISが台頭し、動画やSNSといったメディア戦争を引き起こしている。

実際に、彼らの武力は恐れるには足りない。

しかし、私たちが見誤ってはいけないのは、ISISがハリウッド映画並みの映像を駆使したり、SNSやネットを使った群衆心理を刺激する方法を熟知しているという事である。

つまり、私たちの時代は、SNSやネットこそが、真の戦いの場となっていることを自覚しなければならない。

最後に

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今回のTwitterでのプチ炎上があった時に、コメントやメッセージで応援してくれた人、また、NOTEでサポートしてくれた方には心から感謝する。

そして、私と同じように社会的地位が低いもの、私以上に苦しい状況にあるのにも関わらず、人のために声を上げ戦おうとしているあなたに、私も心から応援し続ける。

私たちの世界は、楽なことなどどこにもなく、攻撃されたり、辛い事の方が多いのが現実だ

しかし、恐れる必要はない。

私たちは信じることで、導かれていくのだから。

恐れるな。

私たちは、自分が死ぬ時に、人々に対して恥であったことを気にする必要はなく、ただ神に対して恥とならないように生きていくべきだ

私たちが死んだ後に、我々の目の前に立つのは、迫害した群集だろうか?

否。

私たちは、神の前に単独者として立つことになるのだから。

病気や、貧困など、社会的に弱者と呼ばれる仲間よ、

卑屈になるな。

勇気を持て。

共に生きよう。

君は1人ではないのだから。

例え、今、肉体的には1人であると感じることがあるかもしれないが、あなたの画面の向こうには、私と、家族と、これから生まれてくる子供が実際にいる。

そして、あなたと共にあるのだから。

信じよう。

私たちは、信じることから始めなければならない。

自分たちの心の支えを見つけることが出来ずに、苦しみ、絶望の中にいる人達よ。

絶望とは、死ぬことよりも辛いものだ。

だが、その絶望を超え、覆いつくすものがあることを信じよう。

絶望するな。

卑屈になるな。

私たちは未来に向かって生きているのだから。

未来は明るい事を信じよう。

信じる力こそ、弱い人間が獲得した、最大の武器なのだから。

自分にどんな結果が残せるかは、私たちが知る必要はない。

それは、神の手の中にあるのだから。

私たちは、使命が与えられていることを信じ、従わなければならない。

愛さなければならない。

私も、そのように生きたいと、もがく者の一人だ。

あなたの先に立つものではなく、後ろから押し出すことができるように。

一緒に、生きていこう。



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