オカルトとスピリチュアル

 私はスピリチュアルというヤツが凄く苦手である。理由は(一部であろうが)スピリチュアルを標榜する人の「説教くささ」にあると言って良い。自称「スピリチュアル・カウンセラー」の人もそうだが、そういう人の「信者」に「言い様の無い説教くささ」を感じてしまう。そこが嫌である。
 オーブとかパワースポットとか、そういうスピリチュアル系の人が好んで使う言葉も嫌である。そんなもん言い方が新しいだけで昔からあるだろうが。

 いや、スピリチュアルのポイントは「そこ」なのかもしれない。「これはオカルトではありません」と「前の世代」に対してケンカを売った上で、似たような事をやる。場合によってはもっとエラい立ち位置に行こうとする。

 私はUFOが好きだが、UFOを「オカルト」に分類する考えが嫌いだった。今も実はそれは変わらない。UFOはオカルト-隠された英知-などではない。「いつでもそこにあって、誰でも見ることの出来る物体」なのである。UFOは逃げも隠れもしない。正体が判らないだけの事である。
 これが例えば「超能力」ならば「オカルト」に分類してもいいだろう。超能力は好むと好まざるとにかかわらず備えてしまった凡人を超える能力であり、ゆえに超能力者は存在を隠され、もし現実に認められるものとなれば、超能力者は映画にあったように政府により隔離されるであろう。「存在すれば」だが。
 未確認生物だとどうだろう。英語表記の「ヒドゥン・アニマル」は隠された生物みたいな意味だが、自分の感覚では「たまたま見られない」だけで、ネス湖とかヒマラヤとか比婆山とかに行けば会える可能性もあるのではないかと思う。あと、特に普通の生物を超越している部分も無いように思うし。これも「存在すれば」だが。
 場違いな出土品、「オーパーツ」も「オカルト」的ではあるが、「誰かによって隠蔽されている」という感覚は自分には無い。それは「教科書を書きかえる発見」を自分が何度か経験しているからで、「科学の現場」は新発見を隠蔽しないという考えが身についているからだ。黄金ジェットや水晶ドクロはそういった「新発見」ではないから歴史を書き換える事ができないだけだ。

 UFOに話を戻そう。UFOについても実はオカルト的なものに結びつける考えが結構ある。つまり「誰にでも見られる」ものでなく、「選ばれし者こそ見られる」という考えである。
 しかしこれは即「説教くささ」に繋がる。「私はUFOに乗っている者と会見した。彼らは遠い宇宙からやってきて、高度な文明を授けてくれた」という、有名な所ではジョージ・アダムスキあたりの考えである。
 もし、UFOが降りてきて、そこから搭乗者が降りてきたとしても、さらにその人物が「うちゅーじん」を名乗ったとしても、多くの場合は「たまたま体験した」で、なかなかそこから「教祖さま」になってしまう人はいないのだが、それでも何人もこういう「コンタクティ」と呼ばれる人は存在している。私もそういうのは本来の「UFO]の考えと違うものだと思うし、反発も感じる。会見しないタイプの「チャネラー」(宇宙イタコ)も同様である。

 しかしUFOが完全に宗教性、オカルト性を排除した存在かというと、そうでもない訳で、日蓮上人が光り物に命を救われた話など聞くと、UFOもまたスピリチュアル同様「昔からある何かの言い換え」であるのは認めざるを得ないのである。

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