「引き出し」が無ければ「好きにやる」はできない

 何らかの趣味をやっていると、知らず知らずに「引き出し」ができている。
 何でも良い。「今はステンレス製の電車が多いな」とか、「このタイプはJR西日本にしかいないな」とか。
 これは「設定」とか「知識」とか「教養」とかいう堅苦しい物事ではない。

「とりあえず組んでみた鉄道模型のカーブだけど、20m級の車輌が通るのは不自然だな」、「非電化のローカル線がやりたいんだよな」、「現実世界に今ある◯◯線のファンじゃないんだよな」。
 こういった自分の思いを、「国鉄は匿名性が高い。既に無いんだし」、「キハ04は短い。客車化されたものもある」、「DD13あたりの牽く貨車の編成ならば、短くても違和感ない」といった「引き出しの中身」で解決していく。これは例だから別の方法でもいい。多分人によって答えは違う。

 もうそこにあるものは「自分の鉄道」である。

 現在ある鉄道模型の多くが、「現実に存在する鉄道」をプロトタイプにしていて、ひいきの鉄道が無いと鉄道模型を始められないようにも思える。
 帽子を買いに行ったら野球チームの帽子しか置いてなかった昭和時代みたいだ。「そうじゃない物もある」とか「いっそ知らない外国の鉄道なら気にならない」というのもまた「引き出しの中身」だ。

 既に好きな鉄道があって、それを鉄道模型でやりたい。スペースもそれなりにある。という人は、この辺は聞く必要性はない。そういう人は既に鉄道模型をやっているだろうし。

 そうでない人にも鉄道模型はできるという話は、する意義があると自分にはあると思う。何より裾野が広がる。


 それと、何かを完成させるスキルは別である。

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