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偶然横にいた女性とお喋りして歩いた15分

好きな散歩コースがある。見晴らしの良い高台の広い車道の脇、日当たり抜群の歩道30分。
ひたすらゆるゆると下る道を歩いていたら、前に年配の女性がいた。距離はどんどん縮まって横並びになったとき、女性がちらっと私を見て「歩きやすくなったねぇ」と声をかけてくださった。


私はよく人に話しかけられるほうだ。話しかけられやすい自覚はある。見た目が怖くないし、のんびりしているから(しかも私はこの直前、お気に入りのネパールカレー屋さんでチーズナンセットを食べて満ち足りていたので、幸せのかたまりのように見えたとか見えなかったとか……)。

カレー屋さんに関する記事、鋭意製作中😎



割と話しかけられるエピソードごとに、結構面白くて珍しい体験になる。
私もそうだし、年代が若めの人は基本的に見知らぬ人にあまり話しかけない印象だけれど、年配の人は他愛ないことでも気軽に他人に話しかけてくれる人が多いように思う。時代性もあるのだろうか。



「本当ですねぇ」
突然声をかけられて少し驚いたけれど、なんだか嬉しくなって大袈裟に頷いた。
女性の“歩きやすくなった”という言葉は積雪に由来する。今年の冬、溶ける暇もなく降り続けた雪のせいで、ついこの間まで歩道は長いこと凍っていて歩きにくかった。
雪でしょ、コロナでしょ、全然人に会いに行けないの、今の時代“今度うちへお茶にいらっしゃい”なんて気軽に誘ったら不謹慎だなんて言われちゃうでしょう、と女性は親しげに続ける。どうやら一人暮らしをされているみたいだ。
「正直、人恋しくてねぇ」
そうなんだ、そうだよねぇ。うんうん、寂しいよね。
「**寺辺りまで行こうと思ってバス停で待ってたんだけど、次のバスまで10分くらいあってね。晴れてるし雪も溶けたし、歩いて行けるんじゃないかと思ってここまで来ちゃった」
「おお……」
なかなかのチャレンジャーだ。ここは私の散歩コースなので、そのバス停から**寺まで30分ほどかかるのを把握済みである。すでに15分は歩いたのではないだろうか。
「じゃあそこまで一緒に歩いて行きましょ」
ということで、しばらく並んで歩くことになった。

近所だというのに、私は観光地でもある**寺にとって今年が特別な年であることをすっかり忘れていた。女性は観光客の賑わいが遠のく頃に参拝に行くつもりなのだという。
「前回はコロナ前だったから、すごく華やかだったし混んでたの。高台から見ると下の参道からお坊さんがずらっと歩いててね。壮観だったのよ」
あなたも行くといいわよ、と言われたけれど、私はたぶん行かないかなぁ。
「そこでこんなちっちゃい、小指の先くらいのだるまさんを買ってね。あれは家の高い場所に置くと良いのよ、私、気のせいかも知れないけど見守られてる感じがしてね。本当は毎年買い直すのがいいらしいんだけど、ずっと買い替えないでおんなじだるまさんを置いてるの」
「それは、愛着ってことですか? 愛着とはまた違う感じ? 」
「そう愛着」
「なるほど……」
他愛のないお喋りだったけれど、普段の生活では交わらない人の経験や価値観を聴けたのが、思いのほか楽しかった。


「あなたみたいな若いお嬢さんとお喋りできるなんて、今日は大安吉日かしら」
と女性がにこにこして言うので、わ若いお嬢さん?!大安吉日?!とちょっと嬉しくなってしまった(若いお嬢さんではないし、大安吉日でもなかったです……)。
「私も、お話しできてすごく嬉しいです!」

二人でお喋りして歩いたら、遠いと思っていた距離も知らないうちに歩けてしまっていて、あっという間の15分だった。
目的地に近づくころ、女性は私に印象的なことを言った。
「友達は沢山作りなさい。年上も年下も、男性も女性もね。そうしたら歳をとったときも、叱ってくれる人がずっといるようになるから。中にはライフステージが変わって離れる友達もいるかも知れない。だからいろんな背景の、いろんな立場の人と沢山友達になっておくのよ」



別れ際、またね、と言って別れた。また会いましょうね。
あなたの暮らしと私の暮らしが、今日ちょっと重なりました。また話すときがあるかも知れません。

その時までどうかお元気でお過ごしくださいね。


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