みつうろこ

あくまでも個人的な備忘録とし、読んだ本の抜粋など...つれづれなるままに。

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最近の記事

エロティシズムと見神

 さて、この短編小説は、神の存在証明の怖ろしい簡潔な証言を意図したものであるが、全体の構造は、「いつ神が現はれ、いつ神の存在が証明されるか」といふ、スリラーのやうなサスペンスを織り込んでゐる。そのため構成は、一幕物のやうに注意ぶかくしつらへられ、前段、「おれ」がマダム・エドワルダと会つて、寝て、裸の上にドミノを羽織つて突然外出するエドワルダを追ふまでは、エドワルダ自身「神」を名乗りはするけれども、「おれ」は未だ見神の体験に達せず、神の存在証明は放置されてゐる。  それが、「空

    • 國譯佛説虛空藏菩薩能滿諸願最勝心陀羅尼求聞持法

      金剛頂經の (*1)成就一切義品に出づ。 唐三藏法師 (*2)輸波迦囉 譯す 爾の時に薄迦梵、諸波羅蜜平等性の三摩地に入りたまふて、定より起ち已て、即ち此の能滿諸願虛空藏菩薩の最勝心陀羅尼を說いて曰はく 南牟、阿迦捨、揭婆耶、唵、阿唎、迦麼唎、慕唎、莎縛訶 薄迦梵の言はく、此の陀羅尼は是れ過去・現在の一切諸佛の同じく說きたまふ所なり、若し能く常に此の陀羅尼を誦する者は、無始より來たの五無間等の一切の罪障、悉くみな消滅して、常に一切の諸佛菩薩と共に護念せらるゝことを得、

      • 國譯佛母大孔雀明王經卷上

        唐特進試鴻臚卿開府儀同三司肅國公贈司空謚大辯正 號大廣智大興善寺三藏沙門不空 詔を奉じて譯す *離一、縮閏六、藏十套八。此の經に六本あり今六本の一なり。 讀誦佛母大孔雀明王經前啓請法。 南謨母駄野  南謨達磨野  南謨僧伽野  南謨七佛正徧智者 *讀誦云云 本書の上卷題額に讀誦佛母等とあれども今此の處に置けり、之れ讀誦前の作法の故に、次に又題額あり。 *南謨云云 已下は啓請の法なり 南無慈氏菩薩等一切菩薩摩訶薩、南無獨覺聲聞四果四向、我皆な是の如き等の聖衆を敬禮したて

        • The Man with the Hoe—Edwin Markham(浦瀬白雨 訳:鋤を持てる人)

          The Man with the HoeWritten after seeing Millet's World-Famous Painting God made man His own image, in the image of God made He him, —Genesis. Bowed by the weight of centuries he leans Upon his hoe and gazes on the ground, The emptiness

        エロティシズムと見神

          INVICTUS ——William Ernest Henley(浦瀬白雨 訳:打ち勝たれぬ心)

          To R. T. H. B. OUT of the night that covers me, Black as the pit from pole to pole, I thank whatever gods may be For my unconquerable soul. In the fell clutch of circumstance I have not winced nor cried aloud. Under the b

          INVICTUS ——William Ernest Henley(浦瀬白雨 訳:打ち勝たれぬ心)

          如是經(光炎菩薩大獅子吼經)——フリードリヒ・ニーチエ

            一切衆生悉可讀・一切衆生不可讀 序品一(光炎菩薩 初轉法輪) 光炎菩薩、御齢三十にして、その故郷を去り、故郷の湖邊を去りて、遠く山に入りたまへり。山に住して禪定に入り、孤獨寂寞を樂しみたまふこと、茲に十年なるに、未だ曾て倦みたまうことなかりき。十年の後、心機遂に一轉、その朝、曙光を仰いで起ち、昇る大日輪を仰いで、語つて曰く、  「われ、星中の王たる汝に告ぐ。汝は照すを以て汝の生命とす。若し、照さるべきものなかつせば、汝何を以てか汝の幸福となさん。  汝の來つてわが仙窟を

          如是經(光炎菩薩大獅子吼經)——フリードリヒ・ニーチエ

          スパイに飜弄され祖國を賣つた女性群 (一) —— 臺灣日日新報(新聞) 1934.12.22-1934.12.24(昭和9)

          インテリ婦人賣笑婦らが登場 桃色遊戲の破綻から曝露  國際政局の微妙な動きにつれ、非常時日本をうかかう恐るべき國際スパイの暗躍は極めて深刻と成り其の策謀と祕計の度は愈々巧妙と成つて來た。  此のとき、端しなくも駐日某國大使館附武官鋪佐官海軍中尉タシエー・ミュー・クロー(二七)をめぐる、日本女性の桃色遊戲の破綻から曝露された美貌の男スパイ事件は、其の遣り口の惡辣さに對し、國民は極度の憎惡と反感を持たない譯に行かなかつたが、美貌の男スパイに飜弄され、遂に祖國を賣るに至つた幾人か

          スパイに飜弄され祖國を賣つた女性群 (一) —— 臺灣日日新報(新聞) 1934.12.22-1934.12.24(昭和9)

          趙爾巽 Zhao Er-xun(1844~1927年)

           清末民国時期の官僚、政治家。漢軍正藍旗人。1874年の進士。各地の按察使・布政使などを経て、湖南巡撫や署戸部尚書を歴任し、1905年に盛京将軍となって東北陸軍(新軍)の編成、産業の振興、教育、財政、警察、衛生などの改革を進めた。湖広総督や四川総督を務めたのちの1911年、東三省総督に就任。武昌蜂起後、奉天国民保安公会会長として清からの独立や革命政権の樹立に反対し、奉天での反清・革命運動を弾圧した。1912年、袁世凱政権(中華民国政府)のもとで奉天都督兼民政長(奉天都督は当初

          趙爾巽 Zhao Er-xun(1844~1927年)

          袁金鎧 Yuan Jin-kai(1870~1947年)

           清末・民国・満洲国の政治家。遼陽州の漢軍正黄旗出身。字は潔珊、号は傭廬。  秀才資格を獲得後、日清戦争時に郷団を組織し、遼陽の警察行政を経て奉天政界に進出。辛亥革命時には奉天省諮議局副議長として張作霖の部隊を省城に駐屯させて革命派を威圧し、指導者で親族の張袴を謀殺。民国成立後は政界から一時引退して『清史稿』編纂作業に従事(1927年完成)。  1916年に袁世凱の帝政失敗に乗じ、張作霖と共謀して奉天都督段芝貴を追放し、張作霖地方政権の発足とその後の人事・行財政などに貢献。

          袁金鎧 Yuan Jin-kai(1870~1947年)

          王永江 Wang Yong-jiang(1972~1927年)

           清末および張作霖地方政権における文官。金州出身。  字は峨源、号は鉄。商家の番頭の子として生まれた。科挙の秀才資格を得たが郷試に落第し続け、同様の境遇にあった袁金鎧の知遇を得る。1900年に歳貢資格を与えられて以後の受験を断念。1904年、日露開戦に伴い、日本軍の軍政下に入った郷里で日本人と協力して南金書院公学堂を創立するも退職。袁金鎧の要請によってまとめた、日本の警察制度についての報告書が評価され、遼陽の警察教育・行政から官界に入った。辛亥革命時には趙爾巽東三省総督の命で

          王永江 Wang Yong-jiang(1972~1927年)

          満洲国協和会

          [満洲国協和会とは何か]  1932年7月に発足した満洲国住民への教化団体。国庫補助金が収入の91%を占めた官製団体で(1939年度)、終戦前年の1944年には、分会数5,185、会員数428万5,414名に達していた。協和会会員の民族構成をみると(1943年上半期)、86.4%を漢人が占め、日本人はわずか8.1%、朝鮮人は4.6%にすぎなかった。 [解釈と論争]  満洲国協和会の評価については、二つの見解をめぐる論争がある。ひとつは、初期の関東軍と満洲青年連盟から協和会ま

          満洲国協和会

          関東軍

          [関東軍とは何か]  1919年4月11日公布の「関東軍司令部条例」により成立した日本陸軍の在外軍隊。司令部は当初、旅順に置かれたが、満洲事変勃発後奉天に移動し、さらに満洲国成立後は新京に進出した。最高指揮官の関東軍司令官は天皇に直隷する親任官であり、陸軍大・中将が任命された。関東軍の前身は、日露戦争後に誕生した関東都督府陸軍部。ポーツマス条約の追加約款では、日本に譲渡された東清鉄道南部支線(長春―旅順間、のちの満鉄)の保護のため1㌔ごとに15名(総計1万4419名)以下の守

          『林海雪原』りんかいせつげん

           戦後内戦期、中国東北における匪賊掃滅を描いた曲波の伝奇的長編小説。1957年作家出版社刊。1946年冬、少人数の分遣隊を率い、牡丹江の山岳地で国民党系在地匪賊の討伐にあたった作者の経験をもとに描かれた。謝文東、馬希(喜)山など実在の人物も登場。1960年映画化、偵察員楊子栄の活躍を描き、のちに革命現代京劇「智取威虎山」に脚色され、人気を博した。英日露などで翻訳。内戦期の土地改革や匪賊討伐の一端がうかがえる。 [参考資料] DVD『林海雪原、楊子栄—電影伝奇林海雪原—(百年

          『林海雪原』りんかいせつげん

          土匪・匪賊

           掠奪・暴行・放火・誘拐などの不法行為を行う反社会的集団の総称。しかし武力行使に長けているため、戦時には兵として勧誘され、また自発的な軍事行動をとる者も多く、その動向はしばしば社会情勢を左右した。満洲国崩壊後から1945年11月末にかけて、中国共産党(中共)は将兵と幹部計13万人を遼東半島南部・東部に送り込み、匪賊経験者が多い東北抗日聯軍を勧誘し始めた。一方、国民政府は10月から東北接収に取り組んだが、ソ連との交渉不調のため11月には表向き断念した。しかし、裏面では中共との決

          土匪・匪賊

          土龍山事件

           日本人移民用地買収に対し、1934年3月に吉林省依蘭県土龍山で発生した農民武装蜂起。別名 依蘭事件。  1934年1月、関東軍は吉林省東北部で100万町歩の移民用地買収に着手、これに対し依蘭県八虎力付近の住民は保董兼自衛団長 謝文東のもとに集結、東北民衆自衛軍を組織し、3月9日土龍山警察署を武装解除、10日、第六三連隊長飯塚朝吾らを殺害、その後2ヵ月にわたって第一次、第二次武装移民団を攻撃した。背景には土地買収のほか、民間銃器回収や種痘への不満があった。事件後、買収工作は満

          土龍山事件

          溥儀・本庄秘密協定

           1932年9月に締結された「日満議定書」付属の4件の往復文書のひとつとして添えられた文書。同年3月に満洲国執政溥儀から関東軍司令官本庄繁に宛てた「依頼」形式の書簡を指す。この書簡は戦後まで公表されることはなく、秘密協定は溥儀が執政に就任するための条件であったといわれている。五項目にわたる内容のうち、重要な点は、以下のとおり。  「満洲国は今後の国防および治安維持に関し、これを日本国に委ね、その所要経費はいずれも満洲国においてこれを負担する。」  「満洲国は日本国軍隊がおよ

          溥儀・本庄秘密協定