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『死なれちゃったあとで』の前田隆弘さんのインタビュー田原町を終えて



4/27、ノンフィクションの書き手にきく“インタビュー田原町09”では『死なれちゃったあとで』(中央公論新社)を書かれた前田隆弘さんを2時間インタビューしました。


インタビュー中に、ドタン!!と音がした。
2階にいた人たちは、突然の大きな音にびっくりした人もいたとか。
前田さんは、インタビューの中でわたしが昔、長渕剛が主演したテレビドラマ『とんぼ』の脚本集の編集をした(著者は昨年なくなられた黒土三男さん)話をしたので、『死なれちゃったあとで』に書かれている後輩が耳にし、色めき立ったのかも。イベント終了後にそんな話をされていた。彼は超のつく長渕ファンだったからと。
真相は、一階のレジカウンターに置いてあった本が落ちたんですと本屋の落合さんが説明してくれたけど、死んだ後輩のDさんが気になって前田さんの話を聞きに来ていたのなら嬉しいなあ。

2時間のインタビューを終えてみて、なんか肝心のこと聞けてない心残りがある。反省しています。
インタビューを中心に仕事をしてきた前田さんは、インタビューのワークショップのような合宿に参加したりするほどで、だから前田さんが考えるインタビューについて聞きたかった。前著の『何歳まで生きますか?』(PARCO出版)というインタビュー集を読んでからさらにその思いがつよくなっていた。
それにしても『死なれちゃったあとで』もそうだけど、『何歳まで生きますか?』は重いテーマを扱いながら何とも軽やかな滑稽味が漂うタイトルだ。

あの日は帰宅してからもなかなか眠れなかった。やらかしちゃったわと。
いい話を聞いて、みんなでよかったねえと言い合う。そんなエンディングを期待していたからだろう。
エッ!?と場が静まる、お通夜みたいな瞬間がおき、なにしてんのオレ。そういえば、番外編で落合さんをインタビューしたときにも、Twitterに月一回両親が暮らしていた実家の整理をかねて帰郷する列車の窓辺に、甘酒を2つ置いた写真をあげているのを見て、おふたりのどちらの好物なんだろうかなあと想像し当日聞いてみたら、
「ああアレ、甘酒はぼくが好きなんです。ええ、飲みたいからいつも買っていくんです」
そこで話が止まってしまった。「えっ、それじゃいけませんか」
問い返されると言葉につまった。
そうなんだわ。いつも、ハートウォーミングないい話を期待するんだよなあ。月命日の帰省と聞いていたことあり、母が好きだったので、そんなベタなものを期待していたジブンが突然恥ずかしくなってしまった。
だけど、今度は恥ずかしいじゃすまない。背筋が凍りついた。
『死なれちゃったあとで』の骨格にもなっている、自死した後輩の両親が暮らす種子島を訪ねる話がある。レンタカーを借りようとして免許証がないとあわて、タクシーに乗ったらカードは使えず現金の持ち合わせもなく、とすったもんだする。
落語の枕のような出だしで、ようやくご両親に会い、という本来はシンミリする話であるのに、出だしで笑って笑って(前田さんには申し訳ない)、シンミリしていいものかどうかよくわからない。
これは他の話にも共通することで、かなしいんだか可笑しいんだか。不思議な感覚的にはまりこんでしまうのが前田さんの文体、持ち味なんだろう。
その種子島の墓参話の終わりのところで、後輩のお父さんと前田さんのやりとりがすがすがしく思え、わたしはすっかり誤読してしまっていたのだった。
だから、前田さんが種子島まで新しく出来たばかりの『死なれちゃったあとで』を渡しに行ったと知り、これはぜひとも顛末を聞かなければと思ってしまっていた。

いつもインタビュー前に打ち合わせはしないことにしているのだけど、「これ鹿児島の知覧のお茶なんです」とお土産をもらった際、「種子島の話、インタビューで聞いてもいいですか?」。
前田さんの表情が一瞬曇り、「まだ整理できてないんですけど、、いいですよ」と言われたときに、たしかに、ん?となったんだよなあ。
そういえば、前田さんのTwitterには鹿児島に行った帰路、あとから考えたら、心象を写したかのような鹿児島の風景が載せられていた。

いずれ前田さんは種子島を再訪した一日のことを書くだろう。ぜったい書いてほしいとおもう。だからここではインタビューの詳細は書かないことにするけれど、心に残ったことだけ。わたしが想像していたのとはずいぶん異なる一日を前田さんは体験していた。

後輩のお父さんは、前田さんが送られていた私家版の『死なれちゃったあとで』を読むことができずにいた。息子をうしなう不条理に、どんなに年月が経とうとも傷は癒えていないということだった。
だから、前田さんと電話で話していたときもお父さんは本のことには触れずに、今年取れたドラゴンフルーツの話をしていたのだということを、前田さんは対面して直に聞くことになる。

前田さんも、うすうす予測はしていたらしい。だけども、この本は直に手渡ししないといけない。仏壇に供えたい。そう思ったのだという。そして予想をこえ、傍目には気丈に思える両親の、つらい現実を知ることになる。

前田さんの「まだ整理がついてない」はそういうことなのか。
インタビュー中、ナイーブなところに踏み込んでしまったことに、どうしたらいいのか。聞きはじめた以上は話しきってもらうしかない。前田さんは、本を渡すということで、ようやく生傷がかさぶたになりかけたご両親の心中を波立てせてしまい「なんて残酷なことを自分はしているんだと思った」と話していた。訥々としたその口調に、場は静まりかえった。

すごいなあ、前田さんは。
そう思ったのは、さらに話はつづき、もうここを訪れるのは最後だなろうと考えながら腰をあげようとすると、お父さんから「お昼まだでしょう。地鶏の美味しいところがあるんですわあ」と食事に誘われる。
連れていかれたのは、前田さんが行く道で昼食をすませてきた食堂だった。
しかも要領がわからず「本日の日替わり定食」三択の、鶏の甘辛煮、焼うどん、サバの塩焼きの食券を買い、三つも出てきたのにびっくりしながらも平らげた。よりによってまたその同じ店に行くのかというトホホ感が伝わり、会場に笑い声がひろがった。弾けるように。明るく。
文字起こしをしていて気づく。わたし同様、会場参加者も空気を変えたかったんだろうか。それとも本当に素直におかしかったのか。

お店のひとが暖簾をはずすしたことにも気づかず、ふたりは、ぽつりぽつりしゃべっていた。沈黙の多い会話だったらしい。
「じゃあそろそろ。とは、ぼくもお父さんも言えなかったんですよね。お父さんも、もう会うのはこれが最後と思われたのか。気づいたら札は準備中にかわり、お店のおばちゃんたちが賄いを食べはじめているし。ほかに客はいなくて。でも、何か感じとったのか、時間ですとも言われず、、」

同じ食堂に二度入ったというエピソードに、わたしは数年前に姉の墓参りに行った日のことを瞬間、思い出していた。
義兄が昼食に予約してくれていたのは、たまたま妻が宿泊予約を入れていた旅館のコース料理で、夜もほぼ同じご馳走を前にしたことがあった。「田舎なもので。ほかになくてねえ」という義兄に、じつはここの旅館はと言っていいものかどうか、あの日はしばらく迷った。

「なんて残酷なことをしてしまったのか」シンミリ話す前田さんと、食堂で注文した日替わり定食を可笑しげに語る前田さん。トーンを変えずに、とつとつと話してもらったのを、何かのときにふいに思い出すのだろう。

前田さんの回のインタビュー田原町の記録(文学フリマに出品した私家版から中央公論新社版までの経緯、私家版収録の前田さんの原点ともいうべき片山恭一インタビューのこと、主語を「俺」で書く理由などなど)は、『死なれちゃったあとで』刊行記念イベントが一段落した頃に掲載します。

『死なれちゃったあとで』のトークイベント案内(どんな死なれちゃった話が出るのか気になるのでアサヤマは配信で見ます)↓





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