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インタビュー田原町07『触法精神障害者』を書かれた里中高志さんにきく



【インタビュー田原町07】
作家・栗本薫の評伝本を書いたジャーナリストが、心神喪失を理由に無罪や不起訴となった加害者のその後を調べたノンフィクションを刊行した。ふたつの本をつなぐ線について聞いた。

浅草のReadin’Writin’ BOOK STOREにて、
『触法精神障害者 医療観察法をめぐって』(中央公論新社)を書かれたノンフィクションライターの里中高志さんをゲストに、取材の様子などをお聞きしました。
2024年1月27日の記録です。


話し手=里中高志さん
聞き手🌙朝山実

【医療観察法は、2001年の大阪府教育大附属池田小学校で8人の児童が殺害された事件を機に議論がなされ、2003年に成立(施行は2005年)。心神喪失など重大な他害行為(人を傷つけるなど)をした者に刑罰ではなく、適切な医療を施し社会復帰させることを目的とする。刑法第39条では心神喪失者、または心神耗弱者が殺人、傷害などの行為を行っても刑事裁判で無罪、または不起訴となることがある。
本書では無罪、または不起訴となった「対象者」(医療観察法では一般に加害者や犯人と呼ばれる人をそう呼称する)の無罪、不起訴が確定した後、どのような処遇を受けるのかを追跡している】

○栗本薫と中島梓と山田純代


🌙『触法精神障害者』の前に、里中さんは『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』(早川書房)という評伝を書かれていて、すこしそちらの本の話からうかがいたいと思います。栗本さんがなくなられてもう何年くらいに?

15年ですかね。2009年ですから。

🌙わたし自身は栗本さんの小説はほとんど読んでこなかったのですが、SF作家といっていいですか。

SFも書き、ファンタジーも書き、時代小説も「やおい」といわれる男同士の恋愛小説も書かれていましたね。

🌙栗本さんは、まず中島梓の筆名で文芸評論家としてデビューされたのち、栗本薫として小説を書かれるんですね。

「グイン・サーガ」という百何十巻もあるファンタジーが代表作です。

里中高志(さとなか・たかし)さん
1977年生まれ。早稲田大学第一文学部卒後、週刊誌記者などをしながら、大正大学大学院宗教学専攻修了。精神障害者のための地域活動支援センターで働き、精神保健福祉士の資格を取得。メンタルヘルス、宗教などのほか、さまざまな分野で取材、執筆活動を行う。著書に『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)、『栗本薫と中島梓 世界最長の物語を書いた人』(早川書房)。
いま取りかかっているのは、ある漫画家の評伝。
撮影©️朝山実

🌙じつは栗本薫も中島梓もペンネームで、本名の山田純代(すみよ)を合わせると三つの名前をもち、本名は使いたがらなかった。その事情を読み解く構成にもなっていて、創作をするひとりの女性の話として興味深く読みました。
分厚い本で、ご両親、夫々の祖父母をたどられ、ファンの人、担当編集者にも会われている。人柄がわかるところが面白く、一例をあげると栗本さんは小説家にとどまらず、作品を舞台化もされ、脚本・演出、音楽まで自身でされています。
才能のある人であるとともに、逸話を読むと人に任せるということができない人らしく、体調をこわされ入院された期間に、演出を代行された人がよかれと脚本に手をいれたことに激怒され、関係もギクシャクされた。そのことの是非はさておき、自分で何もかもやろうとする性分の人だったというのを面白く読みました。
それで、この評伝と『触法精神障害者』。いずれも綿密に取材を重ねられていていますが、ふたつの本のつながりを聞いていきたいと思っています。
まず、栗本さんの本を書こうとされた経緯から教えていただけますか?

僕は、ライターになる前、作家になりたいと思っていたんですが、どうも小説を書くような才能はない。それで、出版社を何社か受けたりしながら編集プロダクションに入るんですね。
じつはこの前に一冊、『精神障害者枠で働く』(中央法規出版)という、精神障害者の人がどうやって会社で仕事をするのかという本をだしていて、それが一冊目の単著になります。
ガイド的な本で、そのあとノンフィクション的なものを書きたいと、ずっと愛読してきた栗本薫の評伝を書きたいと何人かの編集者に話していたんです。
だけども、あまりに興味をもってもらえない。思い切って、栗本さんの「グイン・サーガ」を出していた早川書房に電話したところ、担当さんからご主人の今岡清さんに手紙を転送していただいて。その後、今岡さんから直接電話があり、表参道の喫茶店でお会いしokをもらえました。

🌙今岡さんは、もともとは早川書房で栗本さんの担当編集者だった方で、評伝のキーパーソンとなるひとなんですね。

そうです。書き上げるのに3年くらいかかったんですけど。祖父母の代から書いてあると言ってもらったんですが、担当していただいた編集者から「最相葉月さんの書いた星新一の評伝を参考にしてください」と言われたんですね。
SF作家の星新一の父親が起こした星製薬という会社の家系から書き起こし、最相さんが10年くらいかけて書いた。星さんの遺品を、星さんの別荘で時間をかけて調べたという本なんですよね。
もうこれは大変だなあ。だけども、佐野眞一さんが書かれたノンフィクションの本を読んだりすると、それくらい遡って書かれているし。それで、栗本さんのお母さんがご存命だったので、お母さんのご両親の話を聞いたんです。
いっぽう、お父さんは亡くなられていたので、ちょっと父方のほうは詳しくはたどれなかったんですが。調べていくと、栗本さんは母方のつながりが重要に思えたんです。

🌙栗本さんはどうも、山田純代の名前にわだかまりがあって、亡くなられたあとのお墓の名前もたしか。

中島梓と彫ってありましたね。
もう本が出て5年くらいになるんですが、僕が大学の頃に「グイン・サーガ」を読み始めて、二か月に一回文庫本が出ていたんですね。作品の全部を読んでいたわけではないので、超マニアの人を差し置いて僕が評伝を書くというのは申し訳ない気もするんですが。ただ、400冊くらい著作があるので、さすがに全部となると読み切れなくて。

🌙ファンの人にも会ったり、取材された人数が多いですよね。何人くらいにお会いになったんですか?

巻末に取材協力者のリストを付けていますが、30何人くらいです。骨太のノンフィクションになると百人くらいに会うんでしょうけど。

🌙会われたひとの人柄が伝わるのがよかったです。それで今度の新刊へのつながりですが。

前々からメンタルヘルスは自分のテーマとしてやってきているんですが。栗本薫というか、中島梓もメンタルの問題を抱えていた人だったと思うので、そういうつながりはあるのかなあとも。

🌙彼女の弟さんは障害をもっていて、子供の頃に栗本さんは母親からの愛情の注がれ方に嫉妬するというか苦悶していたという話が出てきますよね。

僕が会ったお母さんは、素敵なおばあさんという印象でしたが、今岡さんや息子さんにお聞きすると、ちょっと困らされてきたという話が出てくるので、家族の中での話は違っていたのかなあと。

🌙なるほど。では、そろそろ本題に入ります。ちょっと凝った装幀に惹かれて手にしてみたものの『触法精神障害者』というタイトル、最初はすぐに内容がピンとこなかったんですが。

○閉鎖病棟の中を取材する


「触法精神障害者」というのは、法律に反する事件を起こしながらも裁判で「無罪」や不起訴となり、医療施設に収容される精神障害者のことをいうんですが。
じつは本にも書きましたが、そうした障害者の全部がぜんぶ医療施設に収容されるのかというとそうではなくて、通常の刑務所にも精神障害をもった人たちが入っている。この人は刑務所、この人は医療施設に入ってもらうと振り分けているのが「医療観察法」による審判なんですね。

🌙この本を読んではじめて、なるほどというのがいっぱいありました。重い罪に問われながらも「心神喪失」を理由に無罪となるケースがあることは知っていても、ニュース記事を読んでも、その人たちは自由放免されるかのような誤った理解をしかねない。実際は「無罪」となった人たちが、その後どうなってゆくのを知りたいと思っていたところに、里中さんのこのルポと出会いました。
内容をかいつまんでいうと、無罪となった人たちは閉鎖病棟に収容されて治療を受ける。社会復帰を目標とし、1年半から5年くらい治療を受けるという詳細が取材から見えてきます。

https://www.chuko.co.jp/tanko/2023/09/005696.html

それ自体がまず一般に知られてこなかったんですよね。Yahoo!とかの記事のコメントを見ると、無罪となればすぐ世の中に出されると思い込んでいる人も結構いて。新潮社の本で、『そして殺人者は野に放たれる』(日垣隆著)という本があって。医療観察法が出来る前に書かれた本だったと思うんですが、そういうタイトルもまた誤解を招くんでしょうね。

🌙法律の主旨として、治療を受けさせるというのは、犯罪に至らせたのは病気が原因で、その病を治すという考えからでよかったんでしょうか?

そうですね。処罰よりも病気の治療をしないといけないということですよね。

🌙収容されるのは閉鎖病棟で、本書のように取材者がそこに立ち入るというのはかなりめずらしいことなのでは? 里中さんは二か所、取材で入られているんですよね。

小平と新潟と。そもそも小平市(東京都)に国立精神・神経医療研究センターというのがあって、そこを取材したのが縁で、ここにこういう病棟があるというのを知って、という取材の経緯は本にも書きましたが。病棟内を見学することが可能なのか尋ねたところ、「もし興味があれば検討しますので、申し込んでみてください」といわれたので「中央公論」誌での掲載を前提に取材させてもらうことになったんですよね。

🌙オウム真理教と施設の中に入って撮ったドキュメンタリー映画『A』の森達也監督がなぜ撮れたのかと訊かれ「ふつうに取材を申し込んだんです」。それまでどこからも彼らに取材申請はなかったそうです。そう語られていたのを思い出すとともに、取材ができるんだ?という驚きがありました。タブー領域だという先入観もあって。

それまでにも、普通の精神科病院の取材はしてきたことがあったんですね。ただ、事件を起こした人たちのための特殊な病院は初めてのことで。話をうかがうと、テレビ局から取材させてくれという話は何度かあったそうなんですけど、お断りしてきたという。okをもらえたのは、これまで書いてきた記事をお見せし、僕が精神保健福祉士という資格をもっているのもあって信用していただけたのかなあと。

🌙その精神保健福祉士という資格は?

よくカウンセラーですか?といわれるんですけど、国家資格で、精神障害者をケアするためにいろんな社会制度につなげる役割を担っています。

○精神保険福祉士を取得し、転職を考えたことも


🌙その資格を取ろうとされたのはどうして?

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