見出し画像

京アニ事件死刑判決

事件から4年以上経っているんですね。当然の死刑判決となりました。
よくある心神耗弱などは認められなかったようです。僕は日本の司法のこの部分が非常に嫌いですが、法治国家で法律で決められている以上仕方ない部分もあります。
ちなみに納得いかないのは正しい判断ができるかどうかが争点みたいな時に正しい判断できるやつはそもそも犯罪をしないということと、この正しい判断をできないことに病気を理由にすることが納得いかないと思っている。
病気で仕方ないことがあるのはわかるが、それを病気だから仕方ないよと許していいのは被害者本人と被害者の親族ぐらいだろうと思うのだ。
病気を理由に無罪になると同じ病気のひとが偏見を受ける。例えば精神疾患があることによって人殺しが無罪になったということがあったら同じ精神疾患があったら殺人許可証を持っているのと同じなのか?ということになる。
「俺は精神疾患があるから罪を犯しても大丈夫なんだ!」というおじさんがいたらどうだろうか?不安で夜も眠れない。そんなことを言っていなくても精神疾患だということがわかれば、『このひとはひとを殺しても捕まらないんだ。』という考えを周りが持ってしまう。精神疾患を患者を偏見から守るためにもちゃんと処罰が必要なのだと考えている。

話が逸れてしまったが、死刑判決が出ただけでこれから控訴したり上告したりするならまだ裁判は続く。被告の雰囲気から結審しそうと考えているが、最終的にどうなるかはわからない。

今回話題になったのは被告の治療の是非だ。
莫大な治療費を入れて治療をしている。93%以上だったか、火傷をしている患者を救うというのは正直ほぼ不可能だと思う。主治医もインタビューで正直難しいと思ったと証言している。少ない残った皮膚を培養し皮膚移植を続けた。結果被告の命は助かった訳だが、ほぼ死刑判決が確定している被告を生き延びさせる意味はあるのかとか、その莫大な治療費を犯罪者にかけるのはどうなのか?ということは度々議論に上がっている。

これに関しては、相手がどんなクソヤローでも原則医者は目の前の患者をを救わなければならない。ましてやまだ公判中ということは刑が確定していない。死刑囚になりそうな人間でも推定無罪が司法の原則だ。

僕が担当医でもおそらく助けただろう。

もし自分が担当医なら仕事としては犯人を裁判に上げることだと思う。そして、苦しい思いをしてもらってできれば罪の重さを自覚して刑に復してほしいと思う。チラと映った映像を見るに被告は皮膚が強張って常にひきつれた感じが全身にあると思う。それが火事の辛さなのだ。火傷の辛さなのだ。人間自分が辛い思いをしないとわからないことは多々ある。そういったものを体感レベルで理解したほうがいいだろう。

今回は死刑判決だったわけだが、当然被害者ないし、被害者家族が報われることはない。ただ、一段落とは言えるだろう。ここを一旦の区切りとし、被害者のご冥福と被害者家族のご多幸をお祈りする。

池袋の事件の時にも書いたが亡くなられた被害者の家族はこれからも奪われ続けるのだ。あまりにも辛い。被害者の配偶者なのか、子どもなのか、家族なのか、恋人なのか、その中でもなんとか幸せになってほしい、幸せを感じる瞬間があってほしいと切に願う。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?