見出し画像

池袋暴走事故の刑確定

池袋暴走事故の刑が確定したと言うニュースが出た。1.4億円の賠償命令だそうだ。今回は飯塚被告は罪を認めていて過失割合の争いとなっていた。だから、車の不具合があったと言い続けていたのだ。罪を認めている重大事故なのだからさっさと刑務所に収監すべきだが、なぜか!なぜだか!いまだに収監はされていない。

1.4億円という値段について皆さんはどう思うだろうか?
妻と子どもが殺された値段だ。
高いというひとはいないだろう。

こんな例え話がある。
あなたに10億円を上げます。
あなたは喜びますか?
きっと喜んでくれるでしょう。
しかし、10億円を受け取るとあなたに明日は来ません。
あなたは10億円受け取りますか?
多分受け取らないでしょう。
それがあなたの中のあなたの明日の価値です。

この被害者の松永さんと僕は子どもの性別こそ違うが家族構成がほぼ同じだ。
子どもが3歳の時に奥さんも一緒に亡くなっている。
それから3−4年経った。うちの子は6歳になり7歳になる年齢になった。

皆さんお分かりだろうか?
僕が何気なく過ごしてきた3−4年、妻と子どもと海に行ったり山に行ったりしてきた。色々な思い出がある。もちろんいいことばかりじゃない。トラブルもあった。でも、楽しい思い出がいっぱいだ。
幼稚園に入園し、友達ができた。コロナで大変だったが、いつも楽しく幼稚園に行っていた。誰々くんとかけっこした。誰々ちゃんと砂場でお山を作った。運動会、にバザー幼稚園でのイベントもあった。遊園地も動物園も水族館も博物館もプラネタリウムも行った。いろんなことができるようになっていった。そして、卒園し、小学校に入学した。小学校でトラブルもあったが、毎日楽しく学校に通えている。授業参観の時も一生懸命に手を上げていた。頑張っている姿を微笑ましく見ていた。たわいもないものも含めたら数限りなく、思い出がある。
妻ともそうだ。子どもの成長を一緒に喜んだ。寝顔を二人で見て、「マジ天使!」とか言っていた(ウチの子どもは本当にかわいい)。子どものバレエやピアノの発表会をドキドキしながら見た。心配だったが堂々としていて「うちの子やるじゃん!」と二人ほっと胸を撫で下ろしたりした。

これらの思い出がとある爺さんの不注意で奪われたのだ。
この3−4年の思い出を1.4億円で捨てろと言われても僕はごめんだ。
それを残り何十年分か捨てさせられたことになる。
しかもその爺さんは刑務所にすら入っていない。
法治国家を重んじる僕でも流石に納得できない。
ちなみに飯塚被告が反省していないとか、飯塚被告の過失が大いに認められてこの値段だ。それが日本の法律だとは思うが、本当にどうかしていると思う。

どちらも控訴しなかったので、刑が確定した。飯塚被告は一審は自分の主張をしたいと言ったのだろう。松永さんはどうせ妻子は帰ってこないし、飯塚被告にこちらが納得のいく刑はくだされないのだから早く終わりたい、そんなとこだろう。とりあえず、日本の司法としての裁判は終わった。

しかし、松永さんは残り一生妻子との思い出を奪われ続けるのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?