ひるね姫のネタバレ考察みたいなもの


 ひるね姫がネット上で色々悪く言われてますが、「よくわからなかった」「くそつまらん。最悪」という酷評はもちろん、好意的な場合でもエンジニア視点からの偏った評価ばかりで「この人、本当にわかってるのかな?」という疑念がどうしても拭えません。

 私としては「こんなにわかりやすい映画はないぞ」と感じるので不思議なのですが、誰もそのものズバリの解釈を語っていないのでさすがに不安になってきて、これ以上ネタバレ考察を我慢していると、「私と監督だけがこの映画をわかっている!」という電波を発しそうなのでここで吐き出してしまおうというわけです。

 これらは鑑賞・帰宅後すぐのツイートです。

 テーマの深さ・壮大さに表現が追いついてないという点で、私もひるね姫を手放しで賞賛する気にはなれませんが、「夢の世界は必要なかったのでは」などという意見は作品を理解していないとしか思えません。そこで野暮は重々承知の上で、ひるね姫のテーマをここでざっくり説明し、「お前らわかってない!」と言って溜飲を下げます(笑)

 むろんこういった抽象的表現を含んだ作品をどのように解釈するかは受け手の自由ですし、これから語るのは私が抱えている問題意識に一番近かったのでそう思えるだけの事かもしれません。しかし少なくとも、「ふだん傑作でも5点台しかつけない自分が『プロットの段階なら8点台も狙える』と言ったのはこういう解釈をしたからだ」とは言えます。

 そんなわけで以下主にテーマ解釈に絞ってネタバレ考察をはじめますが、今後観る予定のある方、すでに観たがまだ自分の中で消化できておらず、ゆっくり考えて楽しみたいという方には閲覧をお勧めしません。そういった楽しみを奪うのは本意ではありませんので。

 逆に「観たはいいがまったく理解できなかった」「考える糸口すら見つからない」「とんでもない駄作だし時間の無駄だった」という人は以下の考察がヒントになり、映画を楽しめるようになるかもしれません。




考察の主観的な信頼度・確信度を簡便に表記するため、文節ごとに以下の記号を付与します。

S: 作品内で事実として語られているもの
A: 事実から必然的に導かれる考察
B: Aよりは弱いが常識的に考えられる範囲で妥当な考察
C: 妄想レベルではあるが可能性としてあり得る考察

まず考察のための前準備として、作品内に登場する人物・地名などについて、その設定を簡単に振り返ってみます。これは映画の内容を覚えていたら読み飛ばしてもかまいません。


ハートランド王国

S: 機械産業が栄えていて、王城で自動車を作っている
S: 王様は機械産業の発展こそ国民を幸せにすると信じている
S: しかしそれは過去のことで自動車での通勤は非効率を極め遅刻だらけ
S: 12時間交代制で実質4時間しか働けない
S: 給与は時間給で遅刻した分は引かれる
S: 最新自社製品への買い替えを強要され、逆らうと罰金


イクミ(エンシェン)

S: ヒロインは当初、夢の中での自分自身だと思っていた
S: 実際には父の寝物語内での、母が投影された人物であった
S: 夢では「魔法使い」として嫌われている
S: 魔法を使い、機械に生命を吹き込む力がある
S: 「鬼」は「魔法使い」が原因で発生していると噂されている
S: 追放しろという声があるが国王も娘なのでそれはできない
S: 魔法の力はベワンにより、とりあげられてしまった
S: 現実世界ではヒロインを出産後まもなく事故死


渡辺一郎(ベワン)

S: 王城・志島自動車の幹部
S: ヒロインの祖父を裏切り、会社(王国)を乗っ取ろうと画策
A: 非常に利己的・独善的で典型的な悪役
A: ヒロインの両親とは因縁があり、完全な敵対関係
B: 最終的には自分自身が作り出した闇に飲み込まれ退場


志島会長(ハートランド王)

S: ストーリー内での最高権力者
S: 一代で自動車工場を大企業に育てた強い自負を持っている
A: 現状、実質的な運営は渡辺に一任していて経営の実態は把握していない
S: 過去に優秀な娘と経営方針で対立し、ヒロインの両親とは絶縁状態にある


モモタロー(ピーチ)

A: 過去に志島の関連企業で働いていた
A: ヒロインの母親とはそこで知り合い結婚
A: その後、地元に戻り幼馴染とゆるい生活をしている
S: イクミの作り出した自動運転技術を引き継ぎ完成させる
A: しかし出世欲はなく、物々交換のようなもので糊口をしのいでいる


モリオ

S: 東京の理系大学に通う技術者のタマゴ
A: 基本はリアリストだが、現実に対処し柔軟な思考をする一面もある


ココネ

A: 特別な才能はないが、誰とでもすぐに打ち解けられる積極性を持つ
A: 東京に憧れる気持ちもあるが、進路について深く考えてはいない



さて、上記設定を踏まえ、その意味を考察していきます。ここでは物語詳細の分析ではなく語られているテーマを探るのが目的なので、細かい設定は無視し、すべてを暗喩・比喩として捉えるのがコツです。


ハートランド王国(志島自動車)

B: いまの落ちぶれだした日本そのものを象徴していると考えていいでしょう。自動車を生産していることからトヨタやホンダだと考える人が多いようですが、他の設定との兼ね合いを考えると、これくらいの抽象度まで上げた方がテーマがうまく見通せるようになります。


ハートランド王

A: 大企業を一代で作り上げた世代ということで、トヨタやホンダの創業者を想定してしまうと1900年前後生まれということになり、作中の2020年では120歳くらいになってしまいます。

B: なので上記設定は無視し、日本の高度成長時代、モノを作れば作っただけ売れた、高度な技能やコミュニケーション能力などなくても真面目に働きさえすれば幸せな家庭が築けた世代を象徴していると考えるべきでしょう。ここでは団塊以上の世代と考えます。

B: 上記のようにハートランド王が象徴している世代は、一生懸命働けばそれだけでよかったので、次の「ハートランド王国が直面している問題」で説明しているような社会問題が理解できていません。これが世代間対立の原因の1つであり、この作品を読み解く重要なポイントになります。


ハートランド王国が直面している問題

B: 現在日本が抱えている問題と同じです。生産性が上がりすぎ需要を超えて商品が作り出されるので買い手が見つかりません。そうすると物を安く売るしかなくなり価格競争が始まります。売れる見込みもない商品を必死に作り出し、押し付けてでも売ろうとします(コンビニ季節商品の大量廃棄問題などを思い浮かべてください)一生懸命働けば働くほど競争が激しくなり労働者は果てしない消耗を続けることになります。

B: 上の状況はトヨタの場合あまり当てはまっていません。(自動車産業は多くの特許やスケールメリットにより国際的にも競争力を保っている、現在の日本では数少ない業界だと言えます)むしろ電機業界や、小売・飲食業・運送業などサービス業に強く当てはまると言っていいでしょう。設定の都合(自動運転AIとの絡み)で自動車業界が選ばれていると考えるべきです。

A: 「ハートランドでは遅刻のため4時間しか働けていない」というような設定と似た内容は、他でも繰り返し描写されます。具体的には

・ 渡辺がその部下に「どうして娘に逃げられたと報告しなかった」と問い詰め、部下は「怒られると思って」と返す

・ 「鬼」に対抗するために作られた「エンジンヘッド」を操縦するのに、内部でいちいち伝達と確認が行われ緩慢な動作しかできない(現場判断を許さない)

 これらは、父権的タテ社会による抑圧構造が組織構成員を萎縮させ、この社会の非効率を生み出しているという問題意識を表現しているのでしょう。


ヒロインの親世代について

B: 列挙された設定をみればわかる通り、物語の中でもっとも情報量が多いのはヒロインの親世代に関するものです。なので語られているテーマもこの世代の問題が中心なのだと考えるのが妥当です。

A: EDや写真などから推測するに、ヒロインの親世代(モモタロー・イクミ・あと渡辺も?)はかつて志島自動車で同僚だったのでしょう。

B: ヒロインの親世代の中でモモタローとイクミは先進的な研究を好んでいてリベラルの立場を代表しています。ただし渡辺は単純にそれに対立する保守というよりは、上の世代の保守性・リベラルへの抵抗感に取り入り、対立させることで社内政治でのし上がった人物だと考えられます。

B: 恐らくそのような社内の派閥闘争に嫌気がさし、モモタローは志島から離れます。金儲けよりエンジニアとしてのプライドを優先する真っ直ぐな人間であることは随所で語られます。作品内では機械系エンジニアとソフトエンジニアの対立によりイクミが離反する描写があり、そこに注目する人がいますがモモタローは明確に機械側です。それがイクミと結婚したのですから、対立の本質はハードとソフトではなく、「目先の金儲けと自分自身の出世や保身」と、「エンジニアとしての矜持」どちらを優先させる人間かが対立軸だと考えるのが妥当です。

B: イクミの死亡の原因(抽象的意味)は非常に難しい部分です。単に生きていたらヒロインの物語が始まらないから、というだけとも考えられますが、ここは終盤の夢の内容をヒントに考えてみます。

 夢の中でエンシェンがイクミになり「鬼」に飲み込まれるという描写がありますが、あの場面の前、「エンジンヘッド」はエンシェンの魔法の力を得て、「鬼」を倒す可能性がありました。

 しかし、魔法の力を恐れた搭乗者が「エンジンヘッド」を強制終了してしまいます。(父権的タテ社会で生きている人々は軍隊的組織と言えるので上官の命令をきかない存在は異物であり排除すべき敵になるという意味?)

 イクミの死は、自分より優れた技術と能力を持った存在により、上司としての自分のメンツが潰れる事を恐れ、彼らがそれを排除してしまうことを表現しているのでしょう。少なくとも、この夢を物語として語ったモモタローは、妻であるイクミの死をそのように捉えていると言えます。

 ただし、「鬼」との関連でイクミの死を考えるとこれ以外の解釈も成り立ちます(これに関しては他の要素を解説した後で述べます)

B: 渡辺(ベワン)はそのような技術を持たない人間が自分の地位と生活を守るため、ただひたすら自己の利益のため策謀した結果、生み出された怪物を象徴しています。自分たちの世代(恐らくは団塊ジュニアとその少し上の世代をイメージ)と上の世代を分断し、公益を無視して自分に不都合な情報を握りつぶし、派閥闘争を意図的に起こしてのし上がり、最終的にはトップになるという野望を抱いています。ただしそれは劣等感の裏返しであるため永久に満たされない欲望であり、ただ世界に相互不信という不幸を撒き散らします。

C: 渡辺(ベワン)のみ、異様なまでのステレオタイプに描かれているのは、そういった存在に対する監督の強い嫌悪を表していると感じられます。(そうしないと耐えられないので過剰に戯画的にして笑いに転化させる系かも)


夢の世界の「鬼」という存在について 

 「鬼」という存在はそのものの行動を考えてもなかなか答えは出てきませんが、作品内ではとりあえず以下のような設定が語られます。

S: 「魔法使い」であるエンシェンの存在が出現の原因であると思われている
 → B: つまり、その発生はエンシェンが魔法を使いだした時期と合致する?
A: 自動車を破壊しつつ喰らい、自分の体を構成している
S: 終盤、炎上→黒い霧に変化、敵対するエンジンヘッドを飲み込もうとする

B: これだけでは手がかりとして弱く、何を象徴しているのかわかりにくいですが、これまでの設定を振り返り、そこで語られているもの以外で、残された重要な要素は何かと考えれば簡単です。つまり父権的タテ社会の象徴である大企業の構成員以外、具体的には低賃金派遣、ニートや引きこもり、ナマポ(怠惰や在日特権などで保護に頼っているとして生活保護受給者を蔑視するときの呼称ですがここでは敢えて使用)などだと考えられます。答え合わせとして上記作品内の設定を見ると整合性があり、推測が正しいことが裏付けられます(「エンシェンと関連していると考えられている」については後述)

B: つまり「鬼」は日本社会の支配者層・一般労働者階級から見たときの、お荷物・厄介者であり、その活力を奪い税金を無駄に浪費させる存在と考えられているものです。同時に彼らは公務員や大企業の正社員などを既得権益層として妬み、ツイッターなど匿名性を利用して社会を攻撃し、時には社会への怨念からテロ行為にすら手を染めます。


「鬼」に対抗する兵器、エンジンヘッド

B: 「鬼」は社会からあぶれた「悪の存在」であるが故に、それを倒すためには何らかの攻撃(抑圧)が必要であると考える人が現実社会でも多くみられます。彼ら曰く、「甘えである」「自己責任である」「現実から逃げている」これらの言説を作品内で象徴するのが「エンジンヘッド」という兵器です。こういった批判はある程度正しい側面もありますが、少なくとも問題を解決することはありません。

B: なぜならば彼らを作り出した原因はそもそも、支配者層・一般労働階級が作り出した社会構造にあるからです。「生産性が上がりすぎてモノが売れなくなり、無駄な仕事をみんなで必死にやるようになった」という、この世界の問題はすでに一度言及しました。こういった小さくなったパイを奪い合い、蹴落とし合う果てに生み出されたのが「鬼」に象徴される存在であれば、この問題の解決策は、もっと新しい分野、あるいは異なる分野で産業を成長させ、無駄な共食いのような状況を、先を見越して回避するしかありません。

B: しかし我々の社会の現状はどうでしょうか。公務員や大企業正社員など一般労働階級者は自分たちの既得権益を死守する事に必死で、新しい変化を受け入れることはむしろ自分たちの生存を脅かし、この社会の秩序と発展を妨げる悪だとして排除するのが常です。(イクミとモモタローはそれに抵抗しましたが敗れました)そして古い社会構造と利権の維持は新たな産業発展の芽を摘み、さらなる「鬼」を大量発生させます。

B: 支配者層はそういった公務員や大企業正社員の既得権益を守り、自分たちに従わせることで自分の立場を盤石なものにしようとします。それが根本的な社会の非効率と経済格差、そして階級対立を作り出していることは承知の上で、彼らは支配者層としての責務(同監督の東のエデンで繰り返し出てきた言葉ノブレス・オブリージュ)を忘れ、自分たちの利益を優先します。実際は古い支配者層はそのことに気づいていないだけなのですが、渡辺の悪意(耳の痛い忠言を嫌う支配者層に取り入り、自己の利益とする)によりそれは伝えられることなくやり過ごされ、問題解決を不可能にしています。


「魔法使い」が「鬼」を生み出しているという噂について

B: 王国は父権的タテ社会の象徴であることを思い出せば、これはエンシェンの持つリベラル思想が「鬼(前述の甘ったれた、社会の落ちこぼれ)」を生み出しているという、高齢者や保守層に広く信じられている見解を象徴していると考えられます。

B: ここで使われている現代的な意味でのリベラル思想は自由・人権・平等などを、非常に高い価値として評価します。これは独裁国家成立など過去の過ちの反省から導き出された社会理念で、日本国憲法でも国民にこれらの権利が強く保証されています。(逆に言えば政府には国民にこれらを保証しなければならないという、強い義務が課されています)しかし、保守層からみればこれらは以下のような意味になります。

自由主義:伝統的な社会の秩序を乱し、それを破壊してしまう

人権思想:既存社会の必要な抑圧を禁止し、人を甘やかし堕落させる

平等思想:結果平等(努力してもしなくても得られるものは同じ)を権利として主張させ人を怠惰にする

 このように考えることで、リベラル思想は確かに「鬼」を発生させる原因であるように見えます。そしてこれは実際に一定の割合では真実であるため、こういった要因を完全否定しようとする一部リベラルを見て、保守層はさらにこいつらは悪魔だと確信するようになります。

 しかしすでに語ったように、「鬼」を発生させる原因は保守思想の側にも強く存在し、どちらかが一方的に悪であり、片方を滅すれば理想の社会が実現するという類の問題ではありません。敢えてここで悪を定義するならば、そのような単純な解決策が存在するように感じてしまう人の心の弱さこそが、このような無益な対立を生み出し、社会を内部から蝕む悪だ、と言えます。


タブレット(AIと魔法について)

S: 渡辺が奪うタブレットにはイクミの作った「自動運転AIのオリジナルコードが入っている」という設定になっています。

A: そもそもプログラムのソースやバイナリデータにしても、タブレットに入るようなサイズのデータに何らかの唯一性があるわけがなく、オジリナルとコピーは同一であり、普通に考えれば志島にあったプログラムであれば盗んでも同じものが渡辺の手元にもあるはずで、取り返す必要などあるわけがありません。(むろん実際は盗まれたわけではなく、物語の始まりからモモタローだけが持っていたわけですが、それにしても志島をやめるときにモモタローがその会社の成果物を独占して持ち出せたのは不自然です)

C: 単なるマクガフィンだから……という納得の仕方もありますが、逆に考えればこの大きな設定の瑕疵を有耶無耶にしてでも、ここに拘るべき大きな意味があるからそうしている、とも考えられます。

それは「夢の世界でAI技術がどのように扱われているか」を考えることで明らかになります。

A: 夢の中で自動運転AIは、エンシェンが使う機械に心を与える魔法という設定に変化します。

B: そしてエンジンヘッドはエンシェンが使う魔法によって動いた場合だけ、「鬼」を大幅に上回る機動性を発揮して、それを倒すことができるようになります。つまり夢の中でAIに対応する、「魔法」という設定を一度迂回して見ることで、AIはギクシャクとした父権的タテ社会を潤す油のような存在、つまり「相互信頼」や「利他的な愛情」というものを同時に象徴していることがわかります。だからこそイクミという母親がそれを作り出しているのです。

B: 上で述べた「鬼」と「エンジンヘッド」の対立による果てしない混乱。これを解決できるのはエンシェンの使う魔法のみであり、つまり相互信頼であり利他的な愛情です。しかし、それらは夢の世界で渡辺のような存在により封印され失われてしまった。それは現実でも同じ事が言えます。

B: 父権的タテ社会の中で、人は互いを「自分にとっての利用価値」といった科学的・論理的な打算のみで評価するようになります。そのような周囲のまなざしにより常に心を傷つけられた人々は、互いを敵とみなし、足を引っ張り合い、他人の能力を妬み、必然的に尊厳を失った奴隷のようになるか、もしくは渡辺のような冷酷で利己的な精神へと堕落していきます。

C: 以上から、イクミの死とは、このような物質主義的価値感が蔓延る中で、相互信頼・利他的な愛情が失われてしまったことを象徴しているとも考えられます。


科学の未来について

 渡辺が奪うタブレット(自動運転AI)は相互信頼の象徴であることがわかったので、渡辺がやっていることをもう一度振り返り考察してみましょう。

A: 渡辺は自分より能力のある他者を罠にかけて押しのけ、あるいはその成果を横取りし、違法でない範囲で他者をどのようにでも利用してのしあがってやろうとする人物です。

B: 本来このような人物は、その組織を構成する人が親密な信頼関係で結ばれていれば、すぐにその正体が明らかになり排除されるような薄っぺらい存在です。つまり渡辺が奪おうとしているタブレット(=相互信頼)はまさに渡辺の天敵です。

B: しかし、作品内でイクミは父親である志島自動車の社長と感情的に対立し、渡辺のような人物に付け入る隙を与えてしまったようです。モモタローにしてもそうでしょう。彼らの世代(それはそのまま現実社会の団塊ジュニア世代とその上の世代ですが)は大きな失敗をしたのです。

C: ガンジーは「人間性なき科学」を現代社会の7つの大罪の1つに挙げました。もし作品内で彼らが渡辺(ベワン)の企みを見抜けず、渡辺のエンジンヘッドが鬼を倒し、渡辺の企み通り彼が国王になっていたらどうなったでしょう。科学は物質主義が生み出した独裁者と組み合わさり、最悪のディストピアが現前していたに違いありません。

B: 終盤、モモタローが志島自動車のかつての同僚(?)から「あんたはイクミさんの作り出したものを独り占めしている」というような非難を受けるシーンがあります。しかし彼は独占欲でそうしているわけではなく、渡辺のような存在が、彼をそうせざるを得ない状況に追い込んでいるわけです。


ココネの旅

 ここまで作品内の設定が象徴する意味について考察してきましたが、すでにテーマのすべてを語った印象があります。

 あとは映画を見る人が、それぞれ自分自身の人生の価値感、人間関係、生活環境などを作品内のそれと重ね、好きに鑑賞すればいいように思いますが、ここまで語ってしまったので作品の時間の流れに沿った考察も軽く行ってみます。

「一度見ただけではサッパリわからなかったが、ここまでの説明でなんとなくわかってきた」という人はここで一旦読むのを中断し、もう一度映画を鑑賞することを(いちおう)お勧めしておきます。




B: 夢の世界は現代の日本が抱える社会問題を語るための仕掛けでした。モモタローは幼いココネにも楽しめるよう、魔法と機械が入り混じった童話にして、自分とその妻の人生を語ります。しかしその内容はこれまでの考察でわかる通り子供騙しではなく、自分自身の罪としての社会の醜い部分やその原因の考察にまで至る、深い哲学が含まれています。寡黙で不器用な人間でありながら、その誠実さと正義感は本物です。

C: 娘は高校最後の夏休みを前に夢を見るようになりますが、これはモモタローの語った物語の意味についてようやく少し理解できるようになってきたということかもしれません。

B: なんにせよ、ココネは親世代の失敗を無自覚に修正・打破することになるわけですが、それを可能にしたのは母の残した愛であり、モモタローの持つ現代的物質主義の価値感に囚われない、自由奔放さと正義感でもある事は物語を追っていけば明白です。


 ここまで読んでこんなことを言う人は居ないと思いますが、「夢の世界などなくして、現実のエンジニアの話一本に絞った方がよかった」という感想をネット上でよくみかけます。しかしこれは監督自身が娘に伝えたいことを出発点にしたオリジナル作品です。仮に技術系の話に絞ってしまうと、その背景にある社会問題について大幅に削除するしかなくなります。

 夢の世界で抽象的な設定を利用し圧縮して語った社会問題の構造を、現実的な設定で語るには映画一本ではとても尺が足りません。そうなると技術の発展を無批判に賞賛するか、否定的に語るか、もしくは曖昧にやりすごすか、どれかを選択する必要があります。子供向けならば普通は最初か最後になるでしょう。むろんその方がわかりやすく、映画鑑賞後の印象もスッキリと気持ちよく、商業的にももっと成功したかもしれません。

 しかし、いま起きている社会問題は大人である自分自身が作り出したものでもあります。その負の側面を無視した内容を子供に語るのは大人として不誠実で許されない。そのような安易に逃げて嘘を語る態度で作品制作に臨んでは、この社会の混乱を作り出している渡辺と変わらない。そういった物質主義に与さない頑なさが映画自身の在り方、映画で中心的役割を占めるモモタローの語った物語と、その人の生き様として貫かれているわけです。


B: 渡辺の執拗な妨害にも関わらず、ココネは持ち前の積極性と行動力によって、祖父である志島自動車会長との出会いを果たすわけですが、これはイクミの世代が生み出してしまった社会問題(世代間・経済格差による分断、相互無理解による果てしない社会混乱)を打破できるのはココネ(心羽)のような純真で自由な発想を持った次の世代である、という希望でしょう。

C: 付け加えるならば影の薄い東工大の技術オタク男はなし崩しに幼馴染のココネと旅することになるわけですが、彼は作品内での「魔法=自動運転AI」のうちの、「新しいテクノロジー」の側面を象徴しているとも思えます。ココネというまっすぐな存在と組み合わさってこそ彼の技術は社会的に正しい方向性を見出し、映画のような結末に導かれる。仮にココネがいなければ彼は社会の悪性にひきずられ、将来成功したとしても渡辺の手下か、渡辺が象徴するような邪悪な存在そのものになってしまうかもしれません。


 終盤の流れを追ってみましょう。

S: 「鬼」は既存のエンジンヘッドをなぎ倒し、王城に迫ります。ベワンが隠していたエンジンヘッドはココネによってその存在が王に知られ、コントロールはモモタローの手に委ねられます。鬼と対等に渡り合うモモタローですが、ベワンの最後の呪いの言葉によって鬼は黒い鳥の群れに変化し、街を炎上させモモタローの操るエンジンヘッドをも飲み込もうとします。

B: これは物語内において”近未来に起こりうる社会現象”が夢として語られていると考えられます。いま保守層(実際はただの権威に擦り寄る利己主義・物質主義者=ネトウヨ)と、リベラル層(これもその大半は現実問題から逃避しお花畑な理想論を語ることで相手を批難し自分だけが良い子になろうとする利己的な偽善者=サヨク)がネット上で行っている罵り合いのようなものが、とうとう極点に至り、日本社会の秩序とモラルが決定的に崩壊する瞬間を象徴しています(米国大統領選挙の対立と混乱もほぼ同じ構図です。日本でいうリベラルがただのお花畑でなくプラグマティックなところが違います)

B: 物語の設定上はエンジンヘッドが保守層、鬼がリベラルになっていますが、この段階になってはどちらがどちらでも同じことです。最後のエンジンヘッドも渡辺が操れば保守層、モモタローが操ればリベラルということになるでしょうが、互いが相手を社会秩序を乱す鬼であり私こそが正義だと主張して譲らない、その混沌状態こそが問題の本質です。もはや元の秩序ある社会を、片方を抑圧することによって取り戻す事は不可能であり、それがモモタローの操るエンジンヘッドまで飲み込む闇として表現されています。

B: それを振り払って解決するのがココネの打ち込んだ魔法の呪文であり、つまり「相互信頼」「利他的な愛」それと「正義に裏打ちされた自由な心」です。渡辺には使い方がわからなかった魔法ですが、父と娘の絆によりエンジンヘッドに心が宿ります。かくしてエンジンヘッドは空を飛び、べワンは黒い闇と共に滅びる、というわけです。

B: ここで父と娘は各世代を代表している事を思い出してください。渡辺のような邪悪なものには渡せないため日の目を見ることがなかった魔法ですが、まだ邪悪さに染まっていない若い世代にならば信頼して渡すことができる。それがこの解き難い問題を解決する鍵になる。そういうことでしょう。

B: (こっ恥ずかしいので割愛しようかと思いましたが一応書いておきます)最後岡山に返したはずのサイドカー付きのバイクロボがなぜあの場に現れたのか作品内で(たぶん)明確な説明がありませんが、あれはモモタローが自動運転プログラムの中にあるイクミの心を復元したため、自由意志が芽生えたと考えれば説明がつきます。調べてみるとバイクの名前は「S-193 HEART」でズバリ、イクミが鬼に飲み込まれる直前のセリフとも合致します。そうすると母と娘が協力して父を救うというシーンになり、家族愛が正義のヒーローになった父親をその破滅的結末から救ったとなります。このへんは中年男の厨二病妄想が混ざった……と言えますかね。

B: エピローグでは父と祖父の和解シーンと、それを取り持つココネが描かれます。ココネは今回の旅により目的意識を持ち、東京の大学を目指すようです。東工大の彼と共に、いまの荒んだ日本社会を夢でみた未来のハートランド王国のように明るくしてくれるのか。モノタロー自身は夢の世界ほどのヒーローではないようですが、とにかく娘を信頼し希望を託す。そしてEDへ……


最後に

「こんなものただの夢物語であり、現実にこんなことは起こり得ない。実際にあるのは日本全体が闇に包まれ滅ぶ未来だけだ」とも言いたくなりますが、少なくとも作品内で語られている社会問題の構造描写は(描かれている射程内では)的確ですし、その解決策も(抽象的すぎるが大雑把に言えば)この道筋以外ないだろうと頷けるものです。

 なによりこれだけ大きなテーマを昨今の商業主義にまみれたアニメ業界とそのファン層の中で大真面目に語り、わかりにくくして自爆しているようにしか見えない、監督の馬鹿正直さに泣けてきます。もっと客に媚び、わかりやすく下品でキャッチーなキャラや設定を入れることで感動させ、売るようなことも簡単にできたはずです。(ここでは具体的にどの作品がどうだとは言いませんが)しかし敢えてそれをしなかった。それをやってしまったら自分自身もただの物質主義者になり、客をただの金蔓として利用するベワンと同じになってしまうからでしょう。

 いまの世の中、ベワンとその下僕みたいなクズばかり。だからこそ、そんな社会の中で、そのすべてを包摂してみせたこの作品の存在が輝く。

 しかし、この映画を見るべき人ほど、その内容は理解不能であり、仮に理解しても受容できない。この映画は希望を謳いながら、その商業的失敗、無理解という現実を通して、現代日本が老若男女を問わず、いかに精神的に未熟であるか、この作品で語られたような未来を享受するに値しない存在であるかを突き付けて来ます。

 情けなく、残念なことです。

 冒頭に挙げたツイートで私が観終わった瞬間、「うわぁあああああ!勿体ねぇ!!!」と走り出したくなった気持ちがわかっていただけたでしょうか。



 これで”ひるね姫のネタバレ考察のようなもの”は終わりですが、この作品のテーマと絡めてメモとして残しておきたい時事問題等があるので以下雑考となります。

 いつもツイッターでやってるぼやきのようなもので、本題から離れ見苦しいだけなので鍵の代わりに有料設定しておきます。内容はないので悪しからず。考察が面白かったとか、貧乏人に金を恵むのが趣味だといった奇特な方からの投げ銭は有難く頂戴致します。



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