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おとめの言葉

吉屋信子の「花物語」を読みはじめた。嶽本野ばらの「ミシン」の中に登場していたことでこの作品の存在を知って、すぐに電子書籍を購入し、読みたくなるタイミングをずっと待っていた。
最近はずっとエッセイや説明文のような、リアリティのある文章を読んでいたのだけど、久しぶりに物語を瞳に映したい気持になったので、花物語を読んでみることにした。
古めの作品ということもあって慣れない言葉や言い回しも多く、一文を読むのに時間がかかる。けれどその分美しい文章を味わっている感覚が強くって、読んでいる間は心が静かになる。
どうして古いものはこんなにも美しく感じるのだろうか。やはり時間というふるいにかけられて、それでも尚人々の心に残り続ける作品というのはそれだけで価値があるような気がする。
こういった美しい作品だけを摂取して、自分自身も同じように美しく在りたいと思うけれど、現実問題なかなかそうはいかない。と諦めてしまうのもわたしの意志の弱さのせいなのだろうか?
だって、わたしは別に女学校育ちでもなければお付き合い=婚約だった時代の乙女でもない。𓏸𓏸ですの、𓏸𓏸ではなくって?ごめん遊ばせ、といった丁寧で女性らしい言葉を使えば冷ややかな目で見られることは確実だ。たまにSNS上で〜かしら、くらいの言葉は使うけれど、その程度だ。真に美しい乙女の言葉は使えない。わたしは結局、大正や昭和の乙女ではなく令和の乙女なのだ。

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