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糸を紡ぐ技、編む技

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愛知ものづくり産業史 繊維産業編
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記事一覧

糸を紡ぐ技、編む技⑩ 主力事業の転換(一般消費財から生産財へ)

昭和48年、変動相場制が導入されると円高が進展し、窯業と同様に安価な東アジア製品が台頭し…

Ru-H
11か月前
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糸を紡ぐ技、編む技⑨ 戦後復興と新繊維の取り込み

昭和12年に日中戦争が勃発し、翌年、国家総動員法が公布されたことで、愛知県下の繊維各社も…

Ru-H
11か月前

糸を紡ぐ技、編む技⑧ 知多木綿と名古屋の織布業

江戸時代、白木綿と晒で名をはせた知多では、明治時代もこれらが引き継がれた。同18年頃にな…

Ru-H
11か月前
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糸を紡ぐ技、編む技⑦ 尾西の絹綿交織と毛織

尾西では、文政年間(江戸後期)に始まった絹綿交織物(尾張縞)が明治10年代に最盛期を迎え…

Ru-H
11か月前
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糸を紡ぐ技、編む技⑥ 三河木綿の展開

愛知の糸を紡ぐ技は官・民あげたものだったが、編む技は民間主導で展開された。 まずは西三河…

Ru-H
11か月前
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糸を紡ぐ技、編む技⑤ 生糸、羊毛、レーヨン

ここでは綿糸以外の紡ぐ技の展開をたどるが、その一つ目が生糸である。明治政府は重要な輸出品…

Ru-H
11か月前
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糸を紡ぐ技、編む技④ ガラ紡績と機械紡績

江戸時代、東日本地方を中心に発展した生糸は、鎖国が解かれた後に重要な輸出品となる。しかし、輸出量の急増にともなって粗悪品が出回るようになり、品質改善と生産体制の整備が必要だった。一方で海外からは、安価で高品質な綿糸や綿布が輸入されるようになり、前近代的な国内の木綿業は打撃を受けてしまう。明治時代を迎え、政府はこれらの対策として国内繊維業の近代化(産業化)に力を注いだ。そんな中で愛知の糸の技は大きな成長をとげていく。 まずは綿糸を紡ぐ技である。 明治6年に長野県の臥雲辰致が発

糸を紡ぐ技、編む技③ 新製品の誕生

江戸時代の間、大都市の需要に応える形で成長した木綿業に対し、 主に地元地域の需要や事情に…

Ru-H
11か月前
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糸を紡ぐ技、編む技② 木綿業の発展

江戸時代になると、絹織物が庶民の禁制品になったことや人口増加といった社会変化を受け、丈夫…

Ru-H
1年前
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糸を紡ぐ技、編む技① 愛知繊維業のルーツ(絹と木綿)

弥生時代、朝鮮半島から手織り機(腰機)が伝わり、日本列島でも麻や絹の衣料が織られるように…

Ru-H
1年前
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