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土を焼く技

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愛知ものづくり産業史 窯業編
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記事一覧

土を焼く技⑪ 主力事業の転換(一般消費財から生産財へ)

戦後、急速な復活をとげ、昭和40年代に最盛期を迎えた愛知の窯業だったが、同48年になると…

Ru-H
1年前

土を焼く技⑩ 戦中の代替品生産と戦後復興

日中戦争勃発(昭和12年)にともない、その翌年、政府が国のすべての人的、物的資源を統制す…

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1年前

土を焼く技⑨ 機械産業への進出

明治時代における三つ目の展開は、工業用陶磁器、すなわち、機械産業への進出である。その背景…

Ru-H
1年前
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土を焼く技⑧ 生活インフラ分野への進出 その2

明治時代における二つ目の展開(生活インフラ分野への展開~建築用陶磁器)の続きとなる。ここ…

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1年前
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土を焼く技⑦ 生活インフラ分野への進出 その1

明治時代における二つ目の展開は、生活インフラ分野への進出である。当時、国内では生活様式の…

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1年前
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土を焼く技⑥ 海外向け製品の開発

明治時代を迎え、政府は外貨獲得のため、陶磁器や繊維といった軽工業の近代化にまずは力を注ぐ…

Ru-H
1年前

土を焼く技⑤ 新製品の誕生

江戸時代の間、瀬戸製品や常滑製品以外にも特長的な製品が誕生(成長)している。以下その代表的なものである。 一つ目は三州瓦。瓦に適した土に恵まれ、矢作川水運の利がある西三河南部の高浜では、江戸中期頃には専門職人による瓦づくりが成立していた(最古の事例として「享保8年、三州高浜村瓦屋甚六」と刻まれた瓦焼狛犬が高浜市内で確認されている)。三州瓦と呼ばれた高浜の瓦は、水運を利用して、防火対策として町屋の瓦ぶきが進み始めていた江戸へと送られた。現在、三州瓦は全国の粘土瓦のシェアトップ

土を焼く技④ 近世瀬戸窯・常滑窯の展開

慶長15年(江戸初期)頃より徳川家康は、かつて美濃(岐阜県)へと移動した陶工の瀬戸への呼…

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1年前

土を焼く技③ 瀬戸窯と常滑窯の成立(猿投窯の技の継承)

列島各地の有力窯が無釉の山茶碗を焼いていた平安後期、猿投窯から施釉の技を引き継いだ瀬戸窯…

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1年前

土を焼く技② 尾北窯と渥美窯(猿投窯の技の拡大)

古代期を代表するハイブランドとなった猿投窯は、増加する需要に応えるため、その技を周辺地域…

Ru-H
1年前
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土を焼く技① 愛知窯業のルーツ(猿投窯の成立)

古墳時代、窯炉を用いて陶土を焼成する須恵器が朝鮮半島から日本列島に伝わると、「高温焼成に…

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1年前
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