見出し画像

食材を醸す技⑦ 和洋折衷の食文化形成へ

高度経済成長期(昭和30年代)を迎えると、所得向上や核家族化、家庭電化が進み、嗜好品やインスタント食品の需要が高まる。こうした中、愛知でも新しいジャンルの食品(食文化)が誕生した。

まずは嗜好品の事例だが、ニッカレモン(後のポッカコーポレーション。現ポッカサッポロフード&ビバレッジ。谷田利景が昭和32年に名古屋で創業)が、同年、合成レモンを製品化。高価な輸入品だったレモンを普及させるためだった。その後同社は、夏は冷やし冬は温めて飲める缶コーヒーの開発を志し、同47年、国産初となる冷温兼用の缶コーヒーを考案した。

また、栄養食として戦後普及していった乳製品分野では、名古屋製酪(現スジャータめいらく。日比孝吉が昭和23年に名古屋に開店したアイスキャンデー店がルーツ)が、同51年にポーション型コーヒーフレッシュを販売開始。一般家庭にコーヒー文化が根づく一助となった。

さらには、県下の料理関係者が創作した濃い味付けを特徴とするソウルフード(ひつまぶし、みそカツ、みそ煮込みうどん、手羽先唐揚げ、あんかけスパゲッティ、小倉トーストなど)もあげておきたい。これらは平成17年の愛知万国博覧会をきっかけに「名古屋めし」として全国的な知名度を得て、現在、地域おこしの重要なツールになっている。

名古屋めしの一つ・みそ煮込みうどん(出典:農林水産省「うちの郷土料理」)

続いてインスタント食品の事例だが、寿がきや(現スガキコシステムズ。菅木清一が昭和21年に名古屋で開店した飲食店がルーツ)が、同37年に中華スープの粉末化に成功し、家庭用粉末スープとして発売。その後、市販品(ラーメンやうどん、スープ類)と外食チェーン(和風とんこつラーメンほか)を柱とした事業展開を行い、東海地方を中心に絶大な支持を集めるようになった。

東海地方のフードコートの定番となったSugakiya

また、醸造分野では、マルサン食品(現マルサンアイ。岡崎醸造として昭和27年に岡崎で創業)が、同55年に豆乳の生産を開始。健康志向の高まりを受け、全国的な豆乳ブーム到来となる中での動きだった。同社は現在、みそと豆乳を柱とした健康を支える多彩な醸造食品を世に送り出している。

以上のとおり、愛知の食材を醸す技は、長い年月を重ねる中で独創的な食品を数多く生み出し、そのほとんどが今日まで引き継がれている。さらには、伝統的な食品と新しい食品とを融合するなど、和洋折衷の豊かな食文化の形成にも深く関わってきた。その功績は極めて大きい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?