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コーヒー焙煎しています 2

学生時代に出会った衝撃のコーヒーを
なんとなく求めて、もしかして焙煎後のあるタイミングで
たまたま美味しかったのでは?と
始めた手網焙煎ですが、同時に第一子が生まれた悦びもあって
仕事から帰ってからも子供の世話もしたくて、
家事やらなにやら、手を使いすぎている+手網焙煎ですから
腱鞘炎になったのでしょう。
病院で産後ママは腱鞘炎になりやすいとか言われ、
あ、いや、まあ、世話はしてるとは思いますけど、
自分、旦那で。え?! きっと、手網焙煎がいかんのですよ。
というような、ことがありまして、
ともかくも腱鞘炎は、すこぶる痛いのです。
子供も3600代の体重で、なかなか腕にきてましたしね。
子供かわいい世話したい+自ら焙煎したコーヒー楽しい
が、当時の自分の頭の中を占めていた気がします。
ですが、腱鞘炎でどうにもなりません。
腱鞘炎は、腕を休ませないといけません。
子供の世話も、できることだけになります。
一気に、トーンダウンですね。
しかたなく、自家焙煎のお店で買ったりもしたものの、
あともうちょっとで求める味になりそうな予感の手網焙煎…。

手を休ませないといけないはずなのですが、
お店で買った豆が、飲んで減っていく度に、ううむと悩み
豆が…。豆が…。豆がなくなるタイミングに、そんな時に限って
お店の休業日だったりするわけです。
たまらず、腱鞘炎もほんのり治りそうな感じであったしで
痛みを押して、大量の焙煎した記憶ありますね。
さらに、情報をいろいろ探っていたので、
粉ミルク缶焙煎という、のもやってましたね。
(ばっちり、空き缶はたくさんありましたから)
缶の底に千枚通しで等間隔に穴をつくって、
取っ手をつけて、ひたすら10数分振りまくるんですよ。
なんバッジしたか覚えてませんが、
豆がなくなるのが嫌で、もしかすると200g以上の豆を
振ってたかもしれません。
当然のように腱鞘炎は悪化しました。

おむつを替える手が痛い、子供をお風呂に入れる腕が痛い
子供を抱く腕が痛い。仕事でキーボードを打つ手すらも
つらくなってきたので、たまらず筋肉注射してました。
当時、仕事も忙しく、まあまあブラックな会社に勤めてましたから
コーヒーは必須でしたし、コーヒーを淹れる瞬間って
なにかリラックスできる時でもありましたから、
そうだ!電動の焙煎機をつくろう!と思いついたときは、
これは自分にとって、必要なことだ!と思いましたね。
いやいや、待てや。そうはならんやろ。と思いもしませんでしたね。

そこから、会社で隙を見ては焙煎機を作っている個人サイトを
調べて、当時は、そこまで検索にひっかりはしてませんでした。
でも、本格的に鉄工所とかにお願いして、図面かいて、
本格的に作ってる人いましたけれど、ものすごく難しそうです。
ふわ~、なにそれ~楽しそうとは思うものの、
すごくお金と時間がかかりそうです。
いいな~と思うものの、すぐにでも焙煎がしたいのです!
電動ドリルの先に缶をとりつけてされてる人とかいましたね。
自分も電動ドリルありやねと思うものの。
ドリルは回転が速そうです。豆をしゃかしゃか攪拌させ
ながら焙煎するには、ちょっと振る必要がありそうです。
あと、腕が痛いのですから、電動ドリル固定しないと…。
固定、固定かあ…、と想像がつきませんでした。
どうすればと探っていたところ、モーターに熱が伝わることを
気にしている人されている人がおおいなという印象でした。
そうすると、電動ドリルってどうなっちゃうのか
わかりませんし、電動ドリルもそこそこ値段するしで。
そこで、タミヤのモーターで焙煎している人を見かけました。
タミヤって、おもちゃのモーターやん! そんなので回るの?
おもちゃのモーターなら安いはず!しかも、もし熱で壊れても
そこまで金額的に痛くないし、もし成功すれば価値ありではと!
その方は、なにやら、ゴムを円盤にとりつけ低速にされてて、
プーリみたいな構造ですね。たとえパワーがなくてもトルクがかせげる。
へ~~っと感心しました。
なるほど、これでパワーもあり低速にもできるのか。と、思っていた矢先
タミヤのモーターを調べると低速トルクモーターKITってのがあり、
これだ~~~!って、なりましたね!
しかも回転数を歯車の組み合わせで変更できるのです。

猛烈に手早く仕事を終わらせ
おもちゃ売り場で、低速トルクKITをゲットし、その足で
ホームセンターで、ドラムのかわりになるものを探し、
さらに、ドラム高さを自由に固定できる、なにかステンの部材と
止め金具と、KITとつなぐ接点を物色し、
「俺、ちょっと焙煎してくる」と嫁に行って、
田舎の実家へ! いぶかしそうにする親の目を無視して
頭の中で組みあがった設計をたよりに、
田舎だから、許されるであろう音をかき鳴らすサンダー
チュイ~~ン! ドラムの中心を通すボルトを削ったりなんやかんやで
深夜12時あたりだったか、試運転し、
速攻焙煎! ドラムが回る!回るぞ!電池でうごくタミヤ低速モーターKIT!
豆がシャンシャン音を立てている。
なんちゃって工作の攪拌翼も機能している!
その時思ったのは、やった!これで腱鞘炎にならない!腕がいたくないぞ!
思わずガッツポーズしてましたね。
1ハゼが来た時なんかは、感動で打ち震えてましたよ。
息子よ。お父ちゃんはやったぞ!と、
困難に打ち勝ったみたいな気分でしたね。
実家の親父が「帰れや!」と引きつってましたから、
1バッジしかできませんでしたけれど、
感無量の面持ちで、翌日も田舎に戻りましたね。
だって、飲む豆がいるから。

で、味はどうだったか。それが覚えてないんですね。
きっと、美味しくなかったのでしょうが、
絶対うまくいくと思いが頭いっぱいで、いいやん飲める!と
ひとりごちってたと思います。

と、自作焙煎機 初号機までのお話でした。

振り返ってみると、とにかくあの当時は時間がなかったので
睡眠時間をけずる方向で生きていたような
とにもかくにもコーヒーのカフェインは必須で
豆を切らしてしまったら、インスタントでもなんでもいいから
コーヒーってなっていたような気がします。


では、また。








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