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初めてのアメリカ放浪記1/日本脱出編

22歳の時、僕は赤坂でアシスタントデザイナーをしていた頃の話。

当時赤坂ではMUGENとBYBLOSと言うディスコが全盛だった。

勤めていたプロダクションは、

ディスコの黒人アーティストの宿泊するビルの3Fにあった。

彼らは職業柄女の子によくもてたようで、四六時中女連れであった。

エレベーターの中でズボンを急いであげている光景も時折見かけた。

1Fには映画会社の美術の会社が入っていて、忙しそうではあったが、

働く若者達の目は生き生きしていた。

そんな環境にいた物で、毎日が刺激の連続であった。

テレビではとんねるずの「トライアングルブルー」のやっていた、あの時代!


夜中の2時頃になると、六本木のヘビメタ系デザイナー達が

ミーティングにやってきた。

しかしさすがに、平均労働時間16時間、ディレクターにこき使われて、

週に2日くらい徹夜になると泣きが入る。

「あ~・・・どっか遠くに行きたいなあ・・・。」

そして・・・ついに切れた。ぷっつんと切れた。

「やーーーめた!やめた!全部辞めた!!」

突然そのプロダクションを退社し、

単身アメリカに渡る。(おいおい遠くすぎるぜぃ!)

言葉なんか全く話せない、

しかも、飛行機に乗るのも初めて・・・。

無謀な旅だ!持っていたのはなんぼかの小遣いと、

往復のオープンチケットだけだ。
1週間後に着いたのはサンフランシスコ。

まるで箱庭のような美しい街だった。

パウウェルホテルでの、

あのファンタジックな夜の孤独感は多分一生忘れないであろう。

アルバムを開くと「サンフランシスコの夜は、

目を閉じると僕にバラードを唄ってくれた」と書きとめてあった。

そして、シボレーをレンタルし、延々と続く、海沿いの南に延びる道をひた走った。

アジアのビーチを中心に、ウインドサーフィントリップで世界をめぐる。