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停戦と敗戦の違いを考える

日本の第二言語は英語でしょ?

真面目な顔で私にそう言ったのは、モロッコ人のクラスメイトだった。高学歴のコンピュータエンジニア。アラビア語とフランス語のバイリンガルで、英語も話せたほうが有利だという理由で学んでいた。

旧フランス植民地で生まれ育ち、授業で使われる教科書の多くがフランス語で書かれたものだったそう。日常会話としてのアラビア語は話せるけれど、公的な言語として使うのはフランス語だと言う。同じく、旧フランス領のアルジェリアからの移民の人達からも同じようなこと聞いたことがある。
一方、標準アラビア語が公用語であるイエメンから来た移民達は、北アフリカ出身者のアラビア語がわからないそうだ。方言の違いというよりも、言い方が悪いけれどきちんとした教育を受けていないような話し方に聞こえるらしい。


植民地化され、戦勝国の言語を強制的に学ばされた過去を持つ国は世界中のあちこちにある。第二次世界大戦で、広島、長崎に原爆が落とされたこと、日本が敗戦国であることを彼らは知っている。だから、日本人が第二言語として英語を流暢に話せるだろうと思ったとしてもなんら不思議はない。
そう言われて驚くのは日本人のほうだ。現実はまったく異なるのだから。

大戦後、戦勝国側は同化政策をとらなかった。
日本人の為ではなく、彼らにとってそのほうが得だったから。



「これ以上抵抗しないほうがいい。どうせ負けるのだから」
「早く降伏して、やり直せばいいのに」
応戦しているウクライナに対するそんな声が聞こえてくる。

日本人は母国語を失わずに済んだ。
そう決断したのは戦勝国側。
敗戦国の未来を決めるのは戦勝国側。
自分達の手でやり直せる保障はどこにもない。


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