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321【金子みすゞ】

3月10日は詩人金子みすゞさんお命日です。教科書に載っている「私と小鳥と鈴と」を書いた人です。小さい頃からあまり恵まれた環境とは言えず、26歳という若さで毒を飲み、亡くなってしまいます。いまで言うDV。離婚を願い出た時、娘さんがいて親権の交渉で夫と揉めたことが大きな理由と言われています。無念であったと思いますが、命をかけた訴えのおかげで、娘さんの親権はみすゞの母へ引き継がれることとなりました。

 10代半ばから詩をつくりはじめ、512篇余りの作品を遺してきたみすゞ。今年、死後94年になります。中でも、2011年の震災の後、次の詩がCMに流れました。

 「こだまでしょうか」

「遊ぼう」っていうと
「遊ぼう」っていう。
「馬鹿」っていうと
「馬鹿」っていう。
「もう遊ばない」っていうと
「もう遊ばない」っていう。

そして、あとで
さみしくなって、
「ごめんね」っていうと
「ごめんね」っていう。

 こだまでしょうか、

 いいえ、だれでも

 よいことも悪いことも、投げ掛けられた言葉や思いに反応するのは、「こだま」だけではなく、万人の心がそうだと、みすゞさんは言っています。この詩を耳にした日本人は、被災された多くの方々が味わった悲しみや辛い思いに、こだまするように、一人一人が出来ることをと、被災地へ向かっていきました。

僕たちは、いつも何かをつないでいきます。リレーのバトンのようにつながなくてはならないと私は思います。何をつなぐ?何かをつなぐ?何を選ぶのか?

たった一つの言葉の力を実感し、たった一つの言葉が救ってくれることがあるのだと改めて教えられた気がします。

いま、新型コロナウィルスの影響から少しずつ日常が戻って来て、卒業式や入学式が以前のようになってきました。卒業生のみの参加だった静かな節目になっていたときのことを忘れてはいけません。当たり前のことに感謝しています。あのとき、かけられなかった言葉が、この先、子どもたちにどんな影響をもたらすのでしょうか。苦しいとき、不安なとき、新しいことへ挑戦するとき、癒されたり、救われたり、励まされたりするはずだった言葉を、私たちはどうやって伝えていけばいいのか。問われているのは、心です。

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