Reaching out :差し伸べられる手 3

Reaching out :差し伸べられる手

「看護師として仕事がしたい」
事故に遭ってから、ずっと願い続けていた。

寝たきり状態になっていても
入院を繰り返すようになっていても
「患者として若手を育てるのも、ありかな?」
と、考えたりもしていた。

大学病院で治療を受けることになった時に
目標を聞かれて
「看護師として仕事がしたい」と伝えた。

叶わないことは、どこかでわかっていた。
だけど、希望として持ち続けていた。

身体能力的にも、身体機能的にも
難しいことも、どこかでわかっていた。
だけど、希望として持ち続けていた。

「看護」が好き。

ただ、それだけなのだけど…。

この想いは執着なのか?


仕事はね、看護師として仕事するのは
もう無理だってことは、納得できてるの。

だけどね…
来年度から、放送大学で看護を学び直したいって思ってるの。

自分がしてきたよりも、受ける側になってからが長いけど…
「今」のわたしで、もう一度看護を学び直したいって思ってて。

でも仕事につながらんから、自己満足でしかないし
お金かかる趣味みたいなもんだけど。

でもさ、それ言ったら…
「看護に執着してる」とか言われんじゃないかな…って思ってるの。

昨年秋、地元の病院の定期受診時
当時の整形主治医に伝えた。

来年度からだし
これからゆっくり準備をすることができるし。
良いと思うよ。

直接、仕事にはつながらないかも知れないけど
どこかで活きるって思うし。

そうやって学び直したいって思えるって、すごいよ。
ゆっくり準備をしてから行動を起こそうとしているし。

病院とかクリニックで仕事、とかじゃなくて
他の形でも活かせることってあると思う。

と、反対はされなくて。

外来の看護師さんにも伝えたら

良いと思うー。
相談業務とかさ、看護もいろいろあるじゃない?
しまさんの経験したことを話す、とかもできる。
改めてまた、看護を学び直すことって良いと思うー。
放送大学で勉強するの、自己満足じゃないからね。(^ー^)

と。

安心できる場所・安心できるひと

地元の病院の整形外来は
わたしにとって、安心できる場所の1つであり
外来の看護師さん達は
安心できるひと達で。

事故後、実家に戻ることになって
地元の病院に転院してからずっと
整形外来を受診しているけれど。

転院した時から
「整形外来は思いを話せる場所だよ」と
環境と関係を整えてくれていた。

先生も
わたしが
「感情を見失っているゆえに言えないひと」だと
わかってからは
「整形外来は思いを話せる場所」だし
「入院中、いつでも呼んで」って
言ってくれていたけれど。

看護師さん達には
「看護師だから、自分でするよ?」
「その時間を他の患者さんに使って」って思っていたし。

先生には
気持ちを閉ざし続けていた。

15年かかって
地元の病院の整形外来は思いを話せる場所だし
安心できるひとがいる安心できる場所なんだ、と気がついた。

一番長く看てくれている看護師さんは12年だもんな…

しまさん辛そうだな、って外側から見ていることしかできなかった。

って言われた時は
本当にごめんなさい、って思った。
介入させなかった、ってことだから。

介入させてくれないのは
そこまでの関係が築けていないから
って、さみしいというか
不甲斐ないというか。
そういう気持ちにさせてしまっていただろうな…と。

そして、それは病棟でも同じで。
いつも入院する病棟から
外来に異動した看護師さんも
継続してわたしに関わり続けてくれていて。

時間を作って来てくれていたのに
肝心なことは何も言わなくてごめんね
わたしには「看護」が必要だったのに
と、伝えたら

やっとわかったかー。
しーちゃんには看護が必要なのよ、と
けらけら笑って答えてくれた。

わたしにとって「看護」とは

わたしにとって「看護」とは
「そのひとがそのひとらしくあるように支援すること」
だと思っていて。

患者さんが
「病気や障害はあるけど『元気』だよ」と言える。
そういう関わりを持つことができたら…と
看護をしてきた。

だけど、自分が患者になって
「病気や障害はあるけど『元気』だよ」
とは言えない状態になった。

看護師さん達が差し伸べてくれた手を
わたしは振り払ってしまっていた。
「看護師なんだから、自分でするよ」と。

その結果
こころもからだも危機的な状態になった。

大学病院で治療を受けるようになって。
やっと差し伸べてくれた手を
そっと握り返すことができた。

そして
受けてきた看護を振り返った時に
「看護の持つちから」のすごさを実感して。
「看護を学び直したい」と思った。

セルフケアやセルフマネジメントを確立させることが
治療のゴールになるけれど。
その時に「看護の視点」を持って
アセスメントをしたい
と思っていたり。

看護師として
お給金がいただけるような働きをするのは
今のわたしには少し難しいところがある。

だけども。
「看護の知識のあるおばちゃん」として
生活の中に溶け込むことができたら
それで良いのかな、と思っている。

生活の中に溶け込むこと

看護は病院の中だけのことではなくて。
病と共にあるひと、ご家族だけが対象でもなくて。
あらゆるひとを対象にしているものだと
わたしは考えていて。

ちょっとした時に、ちょっとしたことを通して
実践することって、実はできていて。

そういう「ちょっとしたこと」でしか
実践ができない事実はある。

だけど
「何もできない」訳じゃない。

いつもの病院の看護師さん達からは
「しまさんの経験を若いひと達に伝えて欲しい」
「学生さんや若手を育てていって欲しい」と言われるけれど。
そこまではまだ、考えられなくて。

先生達は
「論文書いてみる?」
「書けそうだけどなぁ…」と言ってくれるけども。
ハードル高くてくぐれるわ!笑 

治療を通して
「自分の謎解き」を進めているけれど。

「その過程でわかったこと」を
「自分のことば」で説明がしたくて
趣味活動(慢性期看護や喪失へのケアなど)をしたり
こうして言語化したりしている。

その延長線上に
「自分の経験を語ること」があるのかな…と。

放送大学つながりのある方に
「自分の経験を伝える活動をしてみませんか?」と
お声掛けいただいて。
少しずつ、そちらの方向で動き出しているんだ…と
地元の病院の看護師さんに伝えたら
「いいと思うー。
病気になるまでの看護師としての経験があるし
病気してからの当事者としての経験もある。
しまさん知識もあるからさ…。
そうやって伝えていくって大事だと思う。」と。

2年前に、リハ科でも
「医療者であり、当事者でもあるから
自分の経験を伝える働きをして欲しい」と言われていた。

その時は、準備ができていなくて動けなかったけれど。
2年かけて準備が整ってきたタイミングで
少し違う方向から、同じ働き掛けを受けることになって。
動き出しているのだけれど。

先生の投げ掛けは「医療者であり、当事者でもある」わたしに向けられたもので。
放送大学つながりの方の投げ掛けは
「当事者であり、医療者でもある」わたしに向けられたものなのかな?と受け止めていて。

今のわたしには
「当事者であり、医療者でもある」方が
しっくり来るのかな…と。

「看護の知識のあるおばちゃん」として
「生活の中に溶け込む」ことをめざしているのでね…

報告したら
「いいじゃん。やってみれば?
ニーズあるし…
そういうの向いてるんじゃない?
自分の経験を語れる人って居ないのよ…
やってみれば?」
…と言われたり。

精神科の先生も、地元病院の整形主治医も
「そうやって言えるって、すごいじゃない」
「自分の経験を話すことができた。(^ー^)
自信持って下さいね」と言ってくれているので。

このまま動いていこうと思っています。

差し伸べられる手

今、また
わたしに手が差し伸べられていて。
その手を柔らかく握り返している。

3年前は
差し伸べられる手を払いのけていたけれど。
今は柔らかく握り返している。

差し伸べられる手を「信頼して」握り返すことが
できるようになってきたんだな…。

そういう意味でも
回復してきているんだな…と感じています。

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