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光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。

希望を持ち続けてね、そして「生きて」ね


6年前になるのかな…
地元の病院でリハビリを受けていた時に
リハビリ前の診察を火曜日だけは
リハ科のDrから受けることになって。
(この先生は医福大の義肢装具学部の教授です)

当時、車椅子乗車は可能だけど
足は膝から下が素足の裸足で。
右肘部管症候群の術後
CRPSを発症して自走困難になっていた頃で。

僕はあなたと同じ病気の患者さんを1人だけ知っている。
でも、その患者さんは「痛い、痛い」って言いながら死んでしまった。
あなたもその患者さんと同じくらい重い状態で。
こんなことを言うのは酷かも知れないけど。
「希望」を持ち続けて欲しい。
そして、「生きて」ね。
…と言われていて。

その3年後に、絶望がこころの中を占めてしまって
心身共に死にかけることになった。

光は闇の中に輝いている。闇はこれに打ち勝たなかった。


絶望がこころの中を覆っても
わずかに残っていた「希望」が
生きてみようかな、と思わせてくれた。

まだ治療の過程の中にあるけれど。
「看護師として仕事がしたい」という
「希望」があることで
ここまで良くなることにつながっているんだよ、と
言われている。

「希望」があるから、生きていける。
「希望」が覆われてしまったら
生きることを見失う。

「希望」が無くなってしまったら
ひとは簡単に生きられなくなってしまう。
そんな風に感じています。

聖書の
「光は闇の中に輝いている。
闇はこれに打ち勝たなかった。」
にも近いのかな?と。

針の穴ほどの
ほんのわずかな光であったとしても。
光は闇の中に射し込んでくる。

絶望という闇に覆われてしまったとしても
わずかな光が射し込むことで
その闇は闇ではなくなってしまう。

絶望という闇に覆われてしまっていたけれど
ほんのわずかな「希望」がそこにあったから
針の穴ほどの隙間から射し込めたのだと思う。

そのわずかな「希望」が
「もう少し生きてみてもいいのかな」と思わせてくれたり。
「このひと達を悲しませたくない」という思いにつながったり。
今、受けている治療につながって
そこからの「今」があるのかな…と。

わずかな「希望」が
広く覆っていた「絶望」をゆっくりと払っていて。
「絶望」よりも「希望」の占める割合が
かなり増えてきている。
まだ「打ち勝った」とは言えないけれど…

だけども。
「光は闇の中に輝いている。
闇はこれに打ち勝たなかった。」って
こういうことなのかな…と思う。

うん。
少しずつだけど、またわかってきたのかな。

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