シティガール未満~思い出日記~

進学をきっかけに、東京で一人暮らしを始めた。地元の図書館でマガジンハウスを愛読していた私は、アーバンな都会での生活に憧れを抱いていた。せっかく、大都会・東京で一人暮らしをしているのだから、文化的な活動をしてアーバンな女になりたい。そう考えた結果、一人で映画の試写会に参加することにした。

試写会は渋谷の道玄坂付近の劇場で行われた。試写会の翌日に地元で用事があったため、試写会を見た後は帰省しなくてはいけなかった。すなわち、試写会に参加するためには、帰省に必需品のキャリーケースをどうにかしなくてはいけない。

もちろん、私は入念な準備をする。預けるコインロッカーをあらかじめ決めておくのだ。Googleで渋谷駅周辺のコインロッカーを検索してみると、都会値段に驚く。駅構内のコインロッカーが高すぎる。キャリーケースなので、大型サイズのロッカーに預ける必要がある。大型サイズは800円だ。なんともアーバンなシティガール値段ではないか。他のコインロッカーはないかと調べていると、どうも渋谷ヒカリエのコインロッカーが少しだけ安い。大型サイズは500円だ。

よし、これだ!ということで、キャリーケースは渋谷ヒカリエのコインロッカーに預けることにした。

開場の1時間半前の午後4時に渋谷駅に着く。渋谷駅の構内はあまりにも複雑だ。事前に構内図を調べていたはずなのに、全く役に立たない。途中で風の谷のナウシカの王蟲がいて驚いた。渋谷は腐海だったのか。どうりで空気が悪いわけだ。

なんとかヒカリエにたどり着き、キャリーケースをコインロッカーに預ける。悩んだ末に、パソコン(プライベート用)も預けることにした(あまりにも危険なので真似はしないでいただきたい)。ヒカリエのトイレに入ると、トイレ全体に鳥のさえずり、葉が風に揺れる音、サルのような鳴き声が聞こえる。完全に森だった。さすが元腐海だ。

開場までの時間はあと1時間ほどある。ヒカリエにある、アジア料理のお店のイートインスペースで、早めの夜ご飯を食べた。トムヤンクンヌードルを食べたのだが、辛くて汗が噴き出た。完全にラーメンをむさぼる独身男性のそれだった。おしゃれなドライフラワーを売っている花屋が隣接してあった。ベテラン店員と初めてシフトに入る新人店員の会話をBGMに、セルフ孤独のグルメを楽しんだ。

お腹を満たした後、徒歩で劇場に向かう。道玄坂を歩いていく。劇場へ続く細い脇道に入ると、ホテル街が広がっていた。ヨーロッパモチーフなのか何なのかわからないチープな建物と汚い道路のコントラストが最高に良い。まさに私がイメージしていた渋谷だった。

少し早めに着いてしまったが、すでに開場を待つ人の列ができていた。並んでいる人々は、ほとんど一人で来ていた。とても良い。この人達は映画を垂れ流すようには観ていないはずだ。じっくり映画と向き合っている亜文化人達だ。こうやって、学校や仕事帰りの亜文化人達に混ざって、一人で映画の試写会にくるなんて、私もアーバンなシティガールに仲間入りしたもんだ、と誇らしい気持ちになった。

開場の時刻になる。劇場内に入ると、冷房がガンガン効いていてとても涼しい。渋谷のジメジメとした空気で湿ったシャツも段々と乾いていく。席に座り、映画が始まるのを待つ。段々と席が埋まっていく。若い女性が多い印象だ。隣に座った若い女性も一人で来ていたが、ひとり言が多いタイプの女性だったので、映画が始まるまでとてもヒヤヒヤしていた。

ついに映画が始まる。ひとり言を話していた女性も、映画が始まると静かになった。ありがたい。

いきなり本編が始まる、特報が無い映画はとても新鮮だった。台詞も登場人物も少ない映画で、きれいで不思議な映画だった。

映画の終わりにはトークショーに参加できる。特に予定がなかったので参加した。女性のラジオパーソナリティと作家の男性が登壇し、映画について語った。見ているだけでは気が付かなかった点や伏線の話題で盛り上がり、なるほどと思うことがあったが、どうも男性の話し方が苦手だ。偉そうで馴れ馴れしい。話の内容はとても面白いが、私は偉そうな人が本当に本当に苦手なので、終始イライラしていた。

ふと、渋谷ヒカリエの営業時間が心配になり、スマホでコソコソと調べてみた。コインロッカーのあるフロアの営業時間は、夜9時。現在の時刻は8時50分。現在地からヒカリエまで、徒歩10分以上かかる。

ギリギリ間に合わない。ロッカーにパソコンを入れたことを猛省した。

とにかくもうヒカリエに向かおう。すでに終盤に差し掛かったトークショーを抜け出し、建物の外に飛び出た。

日がすっかり暮れて、渋谷の街は夜になっていた。

さっきまで準備中だったお洒落な居酒屋には、お客さんがたくさん入っている。最先端の服を着た若者がわらわらと道端で談笑している。

私はお気に入りの革靴で道玄坂を全速力で走ることにした。汚れなど気にしていられなかった。たらたら歩いている若者の間を、全速力で駆け抜けていく。「道玄坂」という言葉を聞くと、インターネットで見た「道玄坂のォ、緑の会社でえええ~す!」という台詞と、その台詞を話す男性の映像が頭の中に流れる。歩いているサラリーマン達は全員緑の会社の人に見えてくる。緑の会社に屈するもんか!という強い思いで、道玄坂を下っていく。

私は中学の体力測定で、反復横跳びが10段階評価で9だった。すばしっこさには人一倍自信がある。ステップを踏みながら人混みをよけていく。

しかし、体力測定で良かったのは、反復横跳びだけだ。長距離走の記録はひどいものだった。運動部とは思えない、あり得ない記録をたたき出していた。

スクランブル交差点の信号で立ち止まる。喉が痛い。こんな思いしたのは、部活をやっていた高校生以来だ。おしゃれな若者や外国人がわらわらと談笑している中、私は死んだ目をして、信号を睨んでいた。

スマホの時計を見る。9時まで残り1分。ああ、もう無理かもしれない。パソコンが回収できなかったらどうしよう。こんなことになるなら、高くても駅のロッカーに預ければよかった。己の頭の悪さと危機管理能力の無さを呪った。

信号が青になる。青になった瞬間走り出す。どう見ても、近づいてはいけない人がやる挙動だ。ごめんなさい。これでもそこそこまっとうな人間なんです。こんなことをしているのは今だけなんです、すみません、と心の中で謝りながら、若者がたむろしているゾーンに突入していく。

派手な格好をした若者たちを自慢の反復横跳びスキルでよけていく。私の体力メーターは限界に近かった。息継ぎがほとんど過呼吸になっている。叫びながら息をしている。

段々と脳に酸素が回らなくなる。ヒカリエの行き方がわからない。迷っている暇はないと考え、とりあえず、目の前にあった渋谷スクランブルスクエアに入った。締め作業をし始めたお菓子屋のお姉さんに、死にそうな声でヒカリエの行き方を尋ねる。

「・・・あの、ヒカリエってどうやって行けばいいですか?」
ほぼ悲鳴に近い。息があまりにもできていない。

お姉さんが怪訝そうな顔で「はあ?」と聞いてくる。あそこまで警戒心を出されたのは、生まれて初めての出来事であったため、少しショックだった。怪しい人に警戒心を抱くのは当たり前だが、酸欠で死にそうなのに、ここまで冷たい対応をされると悲しくなる。

「・・・ヒカリエってどうやって行けばいいですか!?!?」
もう絶叫に近い。

お客さんのお見送りをしていたお兄さんが何事かと寄って来た。
「どうされましたか?」

「ヒカリエに行きたいんですけど、どうやって行けばいいですか!?!?」
絶叫に近い話し方で、私は再び尋ねる。

お兄さんはおそらくヒカリエの社員だ。渋谷の歴戦のヤバイ人を相手にしているのだろう。絶叫してヒカリエの場所を尋ねる人間に、表情一つ変えない。

「外のエスカレーター登っていただければ、連絡通路からヒカリエに行けますよ~」

「・・・ありがとうございます!!!」
私は絶叫感謝し、外に飛び出して行く。スマホを見ると、時刻は9時3分。閉店時間は過ぎている。都会の冷酷なマニュアル人間は、入館を認めてくれるだろうか、と不安に駆られながらエスカレーターを駆け上がる。

連絡通路で本当に酸欠でぶっ倒れそうになった。中学のシャトルランとは比べ物にならないほど、私は全力だった。「大人になっても、全力で走ることはあるよ!」とケンとチャコに言いたい(『クレヨンしんちゃん 嵐を呼ぶ モーレツ! オトナ帝国の逆襲』は名作です。ぜひご覧になってください)。

入口には、ロボットのようなお姉さんがお見送りをしている。

私は、今にも倒れそうなふらふらの状態でお姉さんに近づき、
「すみません、あの・・・ロッカーに・・・荷物置いてしまって・・・荷物を取りに行ってもいいですか???」と尋ねた。

お姉さんは、私のすさまじい形相に若干引いた表情で、
「コインロッカーですか?どうぞ?」
と、すんなり入れてくれた。

良かった、これでパソコンを回収できる。マニュアル人間じゃなくて良かった。ありがとう、お姉さん。ありがとう、ヒカリエ。こんな怪しい人物を入れてくれる、寛大な心に感謝。

ふらふらとおぼつかない足取りでエスカレーターに乗り、下のフロアに向かう。目の前には、高級ブランドのショッパーをいくつも持った、30代くらいの品の良さそうなカップルが談笑している。一方私は、カラカラになった喉の痛みにむせている。体中から汗が吹き出し、顔は真っ赤だ。すべて数百円のロッカー代をケチった結果だった。彼らと自分の対比が物悲しい。本物のシティボーイとシティガールをまざまざと見せつけられた私は、さらに足取りが重くなった。

ロッカーにたどり着き、無事スーツケースとパソコンを回収した。普段走ることなどない。あまりにも急に走ってしまったため、猛烈な便意を感じた。森のBGMが流れるトイレにふらふらと向かう。トイレに座るとさらに汗が噴き出してきた。便座に座りながら、森のせせらぎに耳を傾ける。渋谷で森を感じた。体が段々と開放されていく。結局、人間は都会だけでは生きていけない。自然に救いを求める生き物だ。ナウシカもそう言ってただろう (多分)。

結局自然から離れては生きていけない。それでも、しばらくはコンクリートジャングル・東京で生活する予定だ。果たして私は生き残れるか、一抹の不安を抱えつつも、東京の隅で縮こまって今日も生きている。

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