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東京ドリームに身を焦がして

東京に住んでいる人はいろんな当たり前のレベルが高いのだと思う。

先日、東京のショールームに70代の女性がパートとして入ったと部長から聞いた。時給1200円でも東京では安いらしく、求人を出しても応募がないらしい。私の学生時代はアウトレットでバイトをしていて、地元のなかでは少し高めの時給980円だった。仲の良い40代の同僚は時給600円、50代の同僚は時給400円だったと言っていた。下には下がいる。決して自慢できる話ではないから、少し心がズキズキした。

「たくさん人がいる場所にはたくさんの仕事があって、希望の条件に合うところから選べばいいからね。」部長の言葉は当たり前のようで、とても贅沢だなと思った。

ある日、東京に住む仲の良い友人に転職について相談をしていたら「仕事なんて山ほどあるから、そんなに深刻に考えなくてもいいよ」とアドバイスをもらった。仕事なんて山ほどあるのか?と疑問に思う。なんでそんなに簡単に考えられるんだろう?とも。

田舎に住んでいる私からすると、身近にある仕事といったら工場の事務職か作業職か、公務員か、農業くらいしか思い浮かばない。仕事はあれどやりたいと思える仕事ではなくて、選択肢の少なさに嫌になる。

東京の求人を見ると友人の言っていたことは本当で、IT系もあればエンターテイメント、商社もアパレルも飲食店もたくさんあって、求人の多さにびっくりする。それだけ数が多ければ、自分の条件に合うところも見つけやすくなるってことか。ただ生まれた場所が違うだけなのに、羨ましく憎たらしく、やりきれない気持ちにぶつかる。条件に妥協することが当たり前になっている私は、東京に住んでいる人が心底羨ましいのだ。

「田舎に住んでいる人って小さいことでもすごく張り切るよね。イベントとかも東京の人からしたら会社帰りにふらっと参加することなんて当たり前、フットワーク軽く動いてるよ。なかなか転職に踏み切れないのも、そうやって張り切ってひとつの行動に感情を込めすぎているからでしょう。もっと気軽に考えてやってみてもいいんじゃない?」別の知人から言われ、確かにそうかもしれないと思った。振り返ってみると思い当たる節がいくつもあった。

仕事だけではない。大好きな作家さんのイベントに会社帰りにふらっと参加したり、作業するためのお気に入りのカフェがいくつもあったり、車がなくても好きな時に好きな場所に行けたり。東京は私の叶えたい生活が当たり前にある場所だ。

田舎の人にしてみたら、イベントは大行事だ。有給をとって新幹線、ホテルを予約して、2時間ちょっとのイベントのために数日前から準備が必要で、ふらっと行けるところなんて公園くらいしかない。

仕事もたくさんの中から選べて、プライベートもふらっと好きな場所に立ち寄れて、東京はまさにアメリカンドリームならぬ東京ドリームなのだ。東京に住んでいる人にとっては当たり前すぎて、ぽかんとしてしまうかもしれないけれど、そんな当たり前が叶わないのが田舎の現状だ。

私の勤めている会社は平均年齢53才、私が入社してからずっと変わらない若者の少なさ。遊び場はない、本屋もない、カフェもない。まっすぐ家と会社とを往復する生活。先が見える人生は辛いものだ。このまま時が経ち死んでいくのだったら、東京ドリームを一度でも味わってみたい。私は東京に行くぞ。もっと人生は楽しいものだと自分に教えてあげないともったいないでしょう。