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「しっかりしてますね」の呪縛

「しっかりしてますね」

「コミュニケーション能力がとても高いですね」


「他の方より抜きん出てオールマイティに優秀なのでどこでも通用できると思います」




自慢に聞こえるかもしれないがこれは私が最近実際に職場で数々の上司に言われたコトバ達だ。



昔から「しっかりしてるね」と言われて育った。



長女だったからかもしれない。
5月生まれで皆よりちょっと成長が早かったからかもしれない。



確かに私はコミュニケーション能力がある。
(か、どうかはよくわからないが、もう小さい時から言われてきているのでそうなのかもしれない)



学生時代は作文や詩を書いて表彰されたこともあったし、文章を書くのは好きだったからビジネス文書を書けるようになるのもそんなに困らなかったし、



新卒の時、周りの人たちより電話応対も上手にできたし



上司の人達が指示した仕事は忠実にこなしてきた。



でもしっかりしてるね、と言ってくれる人たちは、



私が毎日抗不安薬を飲んでいて、

電車に乗るのも怖くて、

ひどい時には途中下車しながら必死に出社して、

電話に出た後はドキドキが止まらなくて、
ビジネスメールを打つときは確認に時間をかけてもなお、送った後不安で何度読み返して、

上司と大事な話をする前はやっぱり抗不安薬を飲んで自分を落ち着かせないとその場にいられず、

調子が悪いときは実は会社のトイレで泣いたりもしている



なんてことは誰も知らない。



誰も知らないから「しっかりしている」私に見えているだけなのだ。



「しっかりしている」私を私は必死に演出している。



ずっとそうだった。



「しっかりしている私」に私はいつも苦しめられてきた。




「しっかりしてますね」と言われるたびに「あぁ、また言われてしまった」と、心にちょっとだけ影が落ちた。



人懐こいですね、コミュ力ありますね、明るいですね、



私の必死な取り繕いが功を奏して評価されてきたことが、




私にとって本当に良いことだったのだろうか。



自分で自分がわからない。




どうしたいのかわからない。




結局拗らせに拗らせてここまできた。




もう誰にも迷惑はかけたくないのに。



「しっかりしている」私からもう解放されたい。



「しっかりしているね」と私に言ってくれた方々、本当にありがとうございます。




でもあれはかりそめの姿です。
薬とカウンセリングで成り立っているかりそめの姿です。




どうかみんながありのままの自分で、気持ちよく過ごせますように。

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