もしも寿命を選べたら

「何歳で死にたい?」

弟に訊ねられたことがある。
ちなみに彼は、100歳まで生きるそうだ。
ぜひとも頑張って欲しい。

私の答えはというと、「うーん、30歳までにかな」。
幼い弟は「あと〇年じゃん!」と笑ったが、隣で聞いていた母には「やめて」と眉を顰められてしまった。
冗談交じりに「200歳!」とでも言えというのだろうか。
とてもではないが、そんな数字は途方も無さすぎるし、だいたい、人間五十年の

もっとみる

「頑張り」の尺度

ろくな人生を歩んできてはいない。
私のこれまでを語るには、「逃げ」の一言で片付くほどである。

従兄弟が結婚するという。
おめでたいことだと思うし、それ自体に問題はない。
若くして所帯を持つことになった彼をすごいなと思いはせど、結婚願望も無い私には、嫉妬のような気持ちはない。

ただ、順調に健全な人生を歩んでいっている彼──否、就職や進学を果たした弟や他の従兄弟も含め──に、ひどく心を揺さぶられて

もっとみる

親愛

今になって思えば、幼い頃からHSPの鱗片はあった。

両親は至って普通の両親であったが、だからこそ、私は彼らに嫌われることのないように、捨てられることのないようにと、顔色を窺いながら生きてきた。

特に父は、機嫌の悪さが表に出やすいところがあったので、鈍感なのか我関せずな母や弟を傍目に、私ひとり、父をどうにかいつもの穏やかな姿に戻そうと奮闘していた。

滅多に機嫌を損ねることのない母に対してもまた

もっとみる

眠れぬ夜におもうこと

眠れない。眠れない日は脳内で盛大に自己反省会が繰り広げられる。過去のおもに嫌な記憶を隅から隅まで狂ったように手繰り寄せる能力には、自分で自分が恐ろしくなる時すらある。
苦々しい経験ほど手放したいものはないのに、楽しかったことや嬉しかったことよりも鮮明に記憶の片隅に焼き付いているのは、いったいどういうことなんだろう。

過去の自分。いつも人との関係に悩み苦しんでいた、過去の自分を思い出す。
人と接

もっとみる

断薬してからの大変さ

今年に入り、服薬を少しずつ減らし、7月15日にレクサプロを断薬しました。

ようやく離脱症状が治まったと思っていたら、ここからが困難でした。

体調は、やはり浮き沈みがあります。
ストレスが強くかかる時は、体調は悪くなるのですが、服薬してないため、自分で体調のコントロールをしなければなりません。

これが辛い(;_;)

自分がいかに服薬に頼っていたか、分かりました。

体調が悪くなると、人に甘え

もっとみる

それでも前に進む

社会復帰をして最初に私を待ち受けていたものは彼氏の浮気だった。
元気になったにも関わらず、全然相手にしてもらえない…
ヤケになって婚活アプリに登録したら彼がいた。

私と付き合ってからもずっと続けていたらしい。
オンライン中のところを現行犯逮捕してその場で退会させたが、問い詰めてもはぐらかされるだけで、そのまま音信不通になった。

婚活は条件だけで人を見て判断する。
しがらみも情もないところからス

もっとみる

心療内科をリベンジしようか

昔から不安になりやすいです。そのレベルが尋常じゃない。心療内科に行って相談した方がいいのかなと考えています。

小学5年生くらいの頃は大人になりたくなくて、毎晩涙が枯れそうになるくらい人知れず大泣きしていました。大人になったらろくなことが起こらないから、それまでに死ななくてはいけないと本気で思ってもいました。身を投げる勇気は結局出ませんでしたけど。

高校を出てすぐフリーターになりました。最初は

もっとみる

車と、車が意味するものへの憧れ

去年書かれた私の診断書には、社交不安障害及び気分変調症とありました。祖母には「こぎゃんはきはき喋るとに障害者だなんておかしかね(こんなにはきはき喋るのにあんたが障害者だなんておかしい)」と言われましたが、れっきとした障害者です。障害者手帳は二級です。祖母よ、この紋所(手帳)が目に入らぬか。

 私の精神障害はおそらく一時的な病気によるものなので、いずれ完治させて普通に就職するものだと、そうするべき

もっとみる

人混みで気分が悪くなったとき、なぜかミンティアが効く

「場面緘黙症」の後遺症として、現在も社交不安障害を抱えています。
人の多い場所へ行くと、頭がボーッとしたり、気分が悪くなったりするのですが…。

なぜかこの症状に「ミンティア」が効くんですよね。
下の写真のようなモノです。

特に気分が悪きなったときに一粒口に押し込むと、吐き気は収まります。
(さすがに頭がボーッとするのは治らないですが…。)

ミンティア、私の外出時の必需品になっています。

もっとみる