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Ever after【短編小説】

その日は、天候に恵まれ、日は照るものの、暑くも寒くもなく、絶好の行楽日和だった。
窓を開け、外の空気を吸った俺は、ぐっとしなやかに身体を伸ばした。
彼は起きてすぐ一緒に朝食を食べ、イヤホンをつけて編集作業を行っている。事務作業が一段落していた俺は、少しだけ暇を持て余す。
煙草を吸って来よう。
そう考えて、煙草とライター、スマートフォンを手に、彼に合図を送る。ちょっと煙草に出かけるよ、とサインをすると、彼の手がOKサインを作った。

マンションの部屋を出ると、喫煙できるところへ向かう。良い天気だ。充分睡眠を取っていたが、気持ちよくて眠くなりそうだ。
変わらず吸い続ける銘柄の煙草。少しだけバニラの香りのする副流煙。ゆっくりと燻らすと、気持ちが落ち着く。
その時、スマートフォンがメールの着信を知らせる音を立てた。
誰からだろう、と確認すると、先程まで共にいた彼からだ。
「ちょっと息抜きに出かけない?」
そう一言だけ書かれている。俺はメールを返すか、電話をかけるか悩んだ末、電話をかけてみることにした。かけるとすぐ、彼は電話に出た。
「何、出かけるって?」
「うん、外気持ちいから、出かけたいなと思って。」
「何処に行くの?遠く?」
「海、行きたい。」
「海?何処まで行く気?」
「九十九里か、湘南かな。」
「電車で?」
「車で。」
「誰が運転すんの?」
この前一緒に車で旅行に行った時に、お互い怖い思いをしたばかりだ。誰か他の友人でも誘うのだろうか?
「交代で。」
彼の申し出に驚く。
「俺も運転すんの?運転できるの?」
「できたじゃん。」
時々、彼の強引で自信過剰なところにびっくりすることはあるが、運転はもうちょっと練習しようとこの前話したばかりだ。
「練習、練習。」
「実践じゃん?」
「下道で行こ。やっぱり湘南かな。九十九里だとアクアライン通らないと行けないだろ。」
「車は?どうすんの?」
「レンタカー、もう手配した。」
俺はは呆れて物が言えない。彼の行動力は普段から目を見張るものがあるが、時々突拍子のない行動に振り回される。
「わかった。すぐ帰るから。」
「3時に車、ピックアップだから。」
時計を見ると、12時を少しまわったところだ。3時に出て、湘南で何をするつもり?帰って来られるの?宿は取ってるの?
俺の頭をめぐる疑問は絶えなかったが、とりあえず俺は部屋に戻ることにした。煙草の火を揉み消すと、急いで家に帰る。


「あ、帰ってきた?」
家に入ると、浴室から彼の声がした。
「風呂?」
「ごめん、ちょっとシャワーしたくて。すぐあがる。」
「うん。俺もシャワーする時間ある?」
「何?外暑いの?」
「暑くないよ。気持ちいい陽気だよ。」
「そう。」
彼が浴室を出ると、俺が入る。本当は二人ともゆっくり風呂派なのだが、さすがに昼はシャワーだ。

一通りの準備が終わるまで、一時間半。彼の謎の行動力を不思議に思いながら、俺は彼の表情を窺う。悲壮感はなく、だからと言って浮かれてるようでもなく、淡々と荷物をまとめる彼。特に着替えなどを持っている様子はなく、軽装だ。夜には帰ってくるつもりなんだろうと、俺も最低限の荷物を準備する。
14時半、2人は家を出た。レンタカーをピックアップするためだ。家から歩ける距離のショップに入る。もちろん俺も免許証の提示などはしたが、基本的に彼が手続きを行っていたため、俺は喫煙所で煙草を吸っていた。
「手続き終わったよ。」
彼から声がかかると、俺は彼に駆け寄った。
「俺、運転しようか?」
本当は夜の運転が嫌なだけだったが、彼は意外なことを言う。
「途中までお前。」
「わかった。」
景色の良い海岸は、自分に譲ってくれるらしい彼の気遣いを噛みしめながら、運転席に乗る。運転は、数か月振りだ。都心に住んでいると、車は基本的に必要ない。
「出発~。」
「気を付けてよ。命預けてるよ。」
「プレッシャーかけんな。」
俺は彼の大真面目な顔つきに、苦笑まじりに言う。
都内の交通量は多い。自然と緊張感が漂うが、ナビがあるので道に迷うことはない。言われたとおりに走るだけだ。
「七里ヶ浜まで行こうかと思うけど、どうかな。」
「いいよ。何処で運転変わる?」
「コンビニかどっかで。」
「了解。」
彼の主目的をはかれぬまま、車は神奈川県方面に向かってひた走る。
半分ほど走っただろうか?コンビニを見つけて2人は休憩をすることにした。
「何か食うもの買う?」
「そうだね。ちょっとつまみ的な。」
「酒は飲めないよ?」
そう言うと彼は笑う。
「わかってるよ。」
コーラとカルピス、ちょっと物足りないが車で来ている以上仕方ないだろう。食料も買い込んで、今度は君が運転席に座る。
「シートベルトは?」
「大丈夫。」
「じゃ。出発。」
景色はだんだんと海岸へ近づく。夕陽が沈むにはまだ早い時間だが、確実に陽は傾いている。俺はこの旅を彼に完全に任せることにした。行きたいと言い出したのは彼だし、どういうつもりで来ているかもわからない。探りを入れるような真似は好きではなかった。
そして、2人が七里ヶ浜に着いた頃、夕焼けが広がっていた。
彼は黙って海岸近くの駐車場に車を停める。
「海、行こ。」
「うん。」
海はもう目の前だ。砂浜が広がり、夕陽を見に来たと思われる家族連れ、カップルなどがぽつぽつと見られた。


砂浜を歩き、海の近くまでやってくると、彼はそこに腰を下ろした。つられるように俺も腰を下ろす。
「夕陽、綺麗だね。」
「うん。」
言葉がなくても通じ合える関係に、いつからかなってきた気がする。2人は無言で夕陽を見つめた。その日差しの中に、横顔の線が浮かんだ。それでも彼の心のうち・・・はかりしれない。彼の方から頭を預けてくる。その頭をくしゃくしゃとしてみる。
「そろそろ沈むかな。」
一心に夕陽をみつめる彼。何を思っているのだろうか。
「連れて来てくれてありがとう。夕陽ってこんな綺麗なんだね。あんまりじっくり見たことなかったかも。」
「今度は何処に行こうか?」
潮風にあたりながら、彼がぽそっと呟く。
俺は彼と行けるならどこでも嬉しい。できれば彼と旅をして、世界中をまわりたい。ありったけの思いつく処を挙げて、その全部と答えた。
しばらく無言の時間が続く、肩に頭を預けてくる少し幼い表情。愛おしくて、頬にキスをすると、彼がにこりと笑った。
「今日、帰れる?」
「今日は帰らない。」
「え、どゆこと?」
「ここでお前と波の音聴いてる。帰るのは明日。」
一晩中潮風に吹かれ、波の音を聴こうと言うのだろうか。
「夜は冷えるよ?寒くないの?」
「お前とくっついてたら、温かい。」
夕陽が完全に沈み、今日の終わりを告げた。
俺は彼の手に触れ、恋人繋ぎをした。ぎゅっと力をこめると、彼も握り返してくる。お互い、まだ、空っぽの手だ。これから満ちていく、あらゆるものが2人に繋がっている。殆ど全て、棄ててしまってもいい。それでも欲しかったものは、俺は彼と、彼は俺と共に歩く未来だ。いつかは恋はお互い枯れ、死を迎える。それを超えてでも、守っていきたい2人の未来。

辺りが闇に包まれはじめた。もう他に誰も見当たらない。ただ波の音は優しく2人に響いてくる。疲労がたまっていた2人にとって、良い子守唄だ。彼は足を伸ばすと横になって俺の腕を引っ張るので、つられて俺も身体を横たえる。
彼の胸に鼻先をこすりつけ。匂いを嗅ぐ。落ち着くのだ。そんな俺の頭を彼は抱えた。
「甘えたい気分?」
「そうだね。夜だしね。」
俺は彼に擦り寄り。腕をしっかりと両手で握る。彼の手が、俺の背中を支えてくれる。
「キス、したい。してもいい?」
俺は上目遣いで彼に尋ねる。
「いいよ。」
俺は身体を起こし、そっと彼の唇に触れるだけのキスをした。彼は嫌がる様子もない。今日の彼は何か変だ。嫌がるどころか、ぎゅっと俺の背中に手をまわしている。自分の過去の恋愛遍歴は数えしれない。
ただ、俺は思っていた。過去の数ある出会いの中でも、彼とのそれは特別で、出会ってから今まで過ごしてきたなかで思っていること。
―――最後の人だと言うこと。
彼がこの気持ちを理解してくれるかはわからないが、俺にとって彼は最後の人だ。もう決めたのだ。俺の心は、彼の物なのだ。綺麗ごとで飾り付けているわけではない、本当に、俺はそう言うつもりだった。
彼にそれを告げてみようか。今なら伝えられるかもしれない。
「星が綺麗だね。」
空を見上げた彼が、満天の星を見つめている。
「うん、綺麗だ。でも、俺、もっと綺麗なもの、知ってるよ。」
「何?」
「それは内緒。」
「隠し事するんでしょーか。」
彼が唇をとがらせる。
「言ってもいい?」
「どうぞ。」
「あんただよ、俺の中で一番綺麗なもの。星空何かに負けないんだから・・・。」
「・・・。」
「ん?やっぱりダメだった?」
「ううん。嬉しいけど。そんなこと言われるとは思ってなかった。」
頬を赤らめた様子までは、暗闇の中で察することはできないが、彼の目が溶ける。
「最後の、人なんだ。決めてるんだ。」
「ん?」
「あんたが、最後って、決めてるんだ。」
20代半ばの独身男性が、そんなことを言うかと思ったのだろうか?彼は目を丸くした。
「俺?」
「そう。」
「そんなに、俺のこと好き?」
「好きだよ。でもいいんだ、あんたにとってそうでなくても。」
今のありのままの日々が愛おしいから、これ以上は求めない。たった1人、俺はその思いを叶えていた。
彼のいる世界。それは、過去のどんな時よりも、輝いている。星なんてくらんでしまうほどの輝き。
「寝よっか。」
「ここで?」
「そうだよ。今日はここで一晩過ごそうと思って来たんだ。波の音と、星空と、お前と。」
「・・・。」
壮大な自然と同化している自分。彼にとって俺は、特別と言うよりは当たり前のものになりつつあるのだろうか。離れて過ごすなんて考えられない。一緒に居て、当たり前の人。だから、ずっと一緒にいると告げた。
「俺も、お前が大事なんだ。お前と共にありたい。・・・おやすみ。」
彼は目を閉じた。その顔はやはり少し幼くみえる。
俺はそんな彼をずっと見ていた。眠ることもせずに。彼が意識を手放しているのをいいことに、また唇を触れさせる。俺は何時間も何時間も、そうしていた。彼に手を添えて、ただ彼を見つめる。飽きることはない。全てのものの中で、一番大切なものだからだろうか。彼の悲しみ、悔しさ、涙。全てを受け止めたい。


空が白み始める。朝だ。彼は穏やかに眠っている。寝顔が朝日に滲む。
その顔を見て、俺は誓った。
彼を、愛し続けると。今までのどんな恋愛より激しく燃えた炎を、絶やさないと。
唇を寄せ、キスをする。すると、彼の瞳がぼんやりと開いた。
「・・・そっか。海へ来ていたんだった。眠れた?」
「お姫様が心配で、眠れなかった。ずっと、あんたの手、握ってたんだよ?」
「だから何か安心して眠れたんだ・・・。」
太陽が2人をキラキラと照らす。朝日に包まれた2人から幸せを奪われないよう、波音が全ての邪魔な世界を消してくれる。
「帰ろうか。」
「え・・・。もうちょっと居ようよ。」
「お腹が空いたんだよ。朝でもやってる店、あるかな?」
すると俺のお腹まできゅるきゅると鳴った。
「お前もお腹、空いてるじゃん。」
「だって昨日の朝から殆ど食べてないもん。」
2人は笑顔に包まれた。お互いがお互いのの笑顔を守りたいと思っている。バランスのとれた関係に安堵する。
「眠れなかったんだろ?俺が運転するよ。」
「お気遣いありがとう。優しい。」
俺は立ち上がると、彼に手を伸ばす。その手を握って、彼も立ち上がった。
彼が俺の服に付いた砂を払ってくれる。
「砂、ついてる。帰ったら、シャワーしたいね。」
服を払う真似をして、彼をぎゅっと抱きしめる。俺の背中にも、ゆっくりと腕がまわった。伸びる影が、2人の幸福を祝福していた。



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