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遺伝子

こんばんは。ムミニキです。
 
久しぶりの更新ですが、こちらも過去記事のリメイクです。
Twitterアイコンの元ネタになります。

「なで肩をばかにしました?」絵:てんてん

遺伝子弱者の漠然とした悩みを綴っているので興味があったら読んでください。

以下本文です。
 
自分はあと数年で30歳に差し掛かります。
コロナが始まったのが確か26歳になってすぐくらいで、そこから2年くらい経ったのでしょうか。

コロナ以前は友人・同僚の結婚ラッシュに巻き込まれており、3万円配りおじさんと化していました。
コロナが始まってからというものの招待状が届く事は無くなり、結婚ラッシュの終わりを感じていましたが、久しく会う人と飲むと「親族だけ集めて結婚したよ!」と報告される事が多々あります。

結婚ラッシュはコロナよりも感染力が強いのでは?と思いました。

結婚報告を受ける度に、自分の将来について少し思いを馳せます。ただ漠然とした不安が残ります。
結婚した人達に対して将来に関する話を振ると、かなり具体的な話が出てきます。
ここに人生経験の差をヒシヒシと感じてしまうのです。

子供は欲しいか、いらないか?
作るなら何人か?
名前はどうするか?
習い事はどうするか?
などなどかなり具体的な話が出てきます。

自分は秋に発売されるスプラ3よりも先の話なんて考えられません。
未婚共にもかなり明確なビジョンを持っている人がいます。彼らもその話題に積極的に参加します。
そんな中、自分は割り箸が入っていた紙の袋で折り紙をし始めます。

そして散々将来とか結婚とか子供とかの話をした後に「まずは相手を見つけないといけないね」と言って未婚共を弄りながら締めるのがお約束なのです。
今まではそうでした。
しかし先日はちょっとだけ違ったのです。
 
「自分の遺伝子に自信が無い」
未婚の友人が言うのならともかく、結婚してウキウキなはずの友人がこうボヤいたのです。
そんな事を言われたら、未婚共は思わず恐縮してしまいます。

確かに容姿や性格が自分に似ている子供欲しいか?と尋ねられたら、はいと即答できる自信はない。
「目が小さいから〜」「歯並びが〜」など各々のコンプレックスと向き合う時間になった。
 
容姿に関するコンプレックスは既に克服しているつもりでしたが、子供に遺伝するとなると話が変わってきます。
自分は慣れていても子供が耐えきれるかは分からないからです。
 
例えば身長。勿論男として高いに越したことはありません。
コンプレックスを解消出来たのは、「自分より背が高かったら気にしない」という女性と運良く巡り会えたからであり、それは成人してからの話になります。

人生おいて大切な学生時代は、低身長で困る事は多くなると思われます。
前習えで先頭側に立たさせる惨めさ。
スポーツ(特にバスケやバレーなど)で不利になる。
お洒落が似合わなくなる。
学校のカースト上位になりたければ、これらの要素は全て障害となり得ます。

自分の話をしますと、サッカーをやる分にはそこまで困りませんでしたが、やはりバスケやバレーではもう少し身長が高ければ…と思う機会は多かったです。
もし低身長が遺伝した子供がバスケやバレーに興味を持ってしまったら申し訳なく思ってしまいます。

また低身長では服選びに困る時があります。純粋にメンズのMサイズが少ないです。特に古着はMサイズ不足が顕著です。
そして、もし自分の身長が180近くあったらヨウジヤマモトとかコムデギャルソンとかのモード系を着ていたかもしれません。
着ていない理由は自分が着たらダサいからです。

顔については触れないでおきます。

他には、なで肩も嫌な要素ではあるのですが、なで肩で虐められた経験は無いのでそこまでの要素ではありません。

「激写!妖怪なで肩男!」 撮影:てんてん


弄られはしますけどね。
 
コンプレックスを挙げ始めたらキリはありませんが、それは歳をとるにつれて努力するなり諦めるなりして解決していきます。
しかし、自分は解決しても自分の子供が解決するかわかりませんし、そもそも自分と同じ苦しみを与えたくはないと考えるのは自然な発想だと思います。

世の中のお父さんお母さんはこの問題をどう乗り越えたのでしょうか。
やはり自分の遺伝子云々よりも、好きな人の子供が欲しいという気持ちが強かったのでしょうか。

 
ところで遺伝子学には、「女性は自分と遠い遺伝子の男性の匂いを嗅ぎ分ける」という話があるとの事です。
人間という種の存続を考えた時、様々な環境や疾患リスクに備える為に、遠い遺伝子を求めるという説です。

皆がそれぞれ持っている好みのタイプは、遺伝子の影響を受けているのかもしれません。
女性の容姿に拘りがない自分は遺伝子が存在しないかもしれないと焦ったのは秘密です。

人間の素となる遺伝子が自分と遠い遺伝子を求めているということは、人間の多様性を認めている事ということになる。
つまり自分が欠点と思っている部分を魅力的と思ってくれる人が存在するかもしれないと考えたら少しは楽になるのだろうか。

事実、高校卒業まで目が細いの気にしていましたが、大学になって塩顔系男子が流行ったおかげで少しいい思いをしましたし。
 
おわり
 
 
 
 
 
 
 
 
 

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